カルビーで使われているジャガイモの量は、年間約40万トン
それは国産ジャガイモの生産量の約15%に相当する量
 
●カルビーのポテトチップスに使われるジャガイモは、北海道から専用の船ポテト丸で輸送される
 
カルビーは北海道で約1100か所のジャガイモ農家と契約しており、
その畑の面積は、東京ドーム約1300個分
格納から収穫されたジャガイモは、
道内にある19か所の倉庫に集められる
集められた大量のジャガイモを
日本国内の様々な場所にある工場に運ぶのが、専用船ポテト丸
全長約100mで値段は9億円で
1984年からポテトチップスのジャガイモを
運んでいるポテト丸は、現在3代目
積める量は850トン
さらにジャガイモの鮮度を保つための冷暖房の装備もある

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青山歯科医院:青山智美によると
猫舌は体質ではないし、遺伝もしない
●猫舌は、舌の使い方が下手なだけ
舌は先の方が熱に敏感で、奥の方が熱を感じにくい
舌に当たる位置をズラせば熱くない
 
猫舌の人は、熱に敏感な舌先を前に出したまま口に入れていることが多い
 
親が猫舌の場合、子供も熱いものを食べる機会が少ないため、
上手な舌の使い方が身につかないだけ

(16)

父は、内務省の官僚
エリート家庭で育った永井荷風は、19歳で作家デビュー
72歳で文化勲章を受章
1912年(大正元年)、父の勧めで材木商を営む令嬢と見合い結婚
しかし新婚にもかかわらず遊女と浮気三昧
1913年、父が亡くなると父が決めた妻と別れ、
贔屓にしていた新橋の芸妓:八重次と再婚
しかし永井の女遊びはとどまることを知らず、
八重次とは半年で離婚
熱を上げていた麹町の芸者:歌と遊郭の経営を始める
 
そんな永井荷風の趣味は、のぞき
店の押し入れの中に小さな穴を開け、連日客の行為を覗き見していた
しかも覗いて特に満足した客には、料金を値引きしていた
 
永井は、自分の目で確認しないと一行も書かなかったという
永井の耽美な小説の数々は、こうした奇癖の産物と言われている

(70)

幕末から明治にかけて激動の時代を支えた初代内閣総理大臣 伊藤博文
陰で囁かれていたあだ名が、ほうき
掃いて捨てるほどの女がいると揶揄されるほどの女好き
 
博文には、東京、大阪、広島と全国各地に愛人がおり、
広島の愛人に会いに行った時の事、帰りに宮島の茶屋に立ち寄った
茶屋の娘がお茶を運ぶと
「なんと美しい、この紅葉のような手を食べてしまいたい」とナンパ
 
この話は、すぐさま宮島中で話題となり、
噂を耳にした菓子職人が紅葉をかたどった饅頭を作ったことから、
広島名物「もみじ饅頭」が誕生した

(10)

9年連続、ミシュラン3つ星を獲得
京都と東京の支店も星を2つずつ獲得
合計7つの星を持つ料亭 菊乃井
そんな菊乃井は、和食の伝統を真っ向から否定し、
合理的に料理と向き合っている
 
●勘や経験を否定
定規を用いて野菜を切り、量りやタイマーは必須アイテム
和食では常識である勘と経験でやっても正確さを欠く
 
●「仕事は目で盗め」も否定
新人に付きっきりで指導を行っている
 
●秘伝のタレを守るのではなく、分析すればいい
そんなに大事なら、何が美味しいのかを分析するべき
 
3代目 村田吉弘によると
料理は、はかりさだめることわり、料理は科学である
 
●昆布だしの伝統を否定
昆布だしは、沸騰直前に鍋から上げる従来のやり方ではなく
分析した結果、60℃で1時間煮ると
旨味成分グルタミン酸が3割上昇することが分かった
今ではすべての店舗でこの方法で昆布だしをとっている

(46)

●愛の告白は、夕暮れ時にすると成功しやすい
 
人は暗くなる夕暮れの時間帯は、判断力が鈍る
さらに暗くなると心の距離感が縮まる
したがって夕暮れ時に告白すると相手が受け入れてくれやすい
夕暮れが難しい時は、明るい店で食事をして
薄暗い店で告白するのも夕暮れの心理効果が期待できる
 
人は、強い光を受けると判断力が鈍る
逆光で告白すると相手が受け入れてくれやすい

(3)

●初対面の人と仲良くなるには、5分に一回 相手の名前を呼ぶ
 
人には誰でも誰かに認められたい思いがある
それを承認欲求という
 
それは親しい人より初対面の相手に
認められた方が効果が大きい
相手の名前を呼ぶことで承認欲求を満たすことになる
初対面の時こそ、相手の名前を呼んだ方がよい

(7)

お年玉を入れるのに使われる「ポチ袋」
 
●お年玉を入れるポチ袋の「ポチ」は、「これっぽち」に由来する
 
少ないですが…という謙虚な気持ちを込めて
渡したためと言われている
 
元々は花街の舞妓や芸妓が、
心づけを渡すために袋として使われた始めた

(1)

●イクラは、ロシオ語で「魚卵」を意味する
 
鮭の卵巣は、筋子
筋子をほぐしたものを「イクラ」と言うが、
イクラは、実はロシア語
 
1905年(明治38年)、日露戦争でロシアに勝利した日本は、
当時、ロシア領だったカムチャッカ半島で
漁を始めることになった
そこで多く獲れたのが鮭
当時、日本では鮭の卵を「筋子」と呼んでいたが、
鮭の卵を食べていたロシア人は、
鮭の卵を魚の卵を意味する「イクラ」と呼んでいた
そんな中、日本の企業がカムチャッカ半島に
工場を造り、鮭の卵を缶詰の製造を始めた
筋子の状態では缶詰に入らないので、
ほぐして缶詰に詰めることに
現地のロシア人が、鮭の卵を「イクラ」と呼んでいたので、
イクラの缶詰という商品名にし、日本各地に広まった

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