伊藤博文は、愛人が病死すると2人の妹も愛人にした

明治18年、当時45歳の伊藤博文には、
東京、大阪、広島と全国各地に何人もの愛人がいた
特に可愛がっていた愛人が、
自宅で大工として雇っていた田村半助の娘:喜勢子
喜勢子に麻布にあった豪邸を一見丸ごとプレゼント
当時のゴシップ誌 萬朝報が、
愛人の名前、豪邸の住所を掲載
 
「伊藤よ、女遊びはたしなめてはどうか」と明治天皇に忠告されても
「私は財産や豪邸などいりませぬ。ただ公務の間に芸者の相手をするのが何よりも好き
なのです」と開き直る始末
 
記事の影響か、喜勢子が病死
博文は、まず喜勢子の妹、次女のつね子を愛人にした
さらにつね子が亡くなると父親に莫大な金品を与えて、
三女で当時16歳の雪子にも愛人になるように要求した
 
萬朝報は、父親に金をちらつかせ、
美人姉妹を次々愛人にする総理と
報じたことで日本全国に知れ渡ることに
 
明治時代の民法では、既婚男性でも相手が
未婚であれば浮気してもOKだった。既婚女性の浮気はNGだった

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