Category Archives: 人物

相対性理論を提唱した天才物理学者:アルベルト・アインシュタイン
●アインシュタインは、不倫を繰り返し従姉にも手を出していた
 
1919年、ドイツ ベルリン 40歳のアインシュタインは、
従姉のエルザが離婚したのを聞くと
猛アタックを開始し、妻のミレヴァに離婚を申し込んだ
拒んだ妻に、アインシュタインは、
まだ獲れてもいないノーベル物理学賞の賞金を慰謝料に、
妻に離婚を同意させようとした
賞金は、現在の価値で2億5000万円
1921年、ノーベル物理学賞を受賞
約束通りで慰謝料として妻に賞金を全額渡した
しかし、いざ離婚が成立したときには、
エルザではなくエルザの娘:イルゼに恋していた
だがイルザには拒否され、仕方なく母親のエルザと再婚した
 
その後も浮気癖は治ることなく色んな女性に手を出しまくった

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野口英世は巨額のお金を借りる借金王
お金が入ると日頃の欲求不満を解消しに
人を連れて飲み屋に行ってしまう
清国にペスト予防に行く時、
国から渡航手当96円(現在の14万円くらい)を借金の返済にあててしまった
結局、渡航の為の資金は、別の人に借金したと云う
 
野口英世は、研究のためアメリカに行きたいと考えていた
そこに斉藤ます子と婚約すれば
600万円の渡米費用を提供してくれる縁談話が舞い込んできた
英世はこれに飛びついた
その気もない婚約をし、渡米費用を手に入れた
しかし、結局は結婚には至らなかったと云う
その気もない婚約で手にした渡米費用
さらにその大切なお金をあろうことか
友人と盛大なお別れ会をし、一晩で使い切ってしまった
途方に暮れた英世が頼ったのは一人の恩師
英世に頼られた恩師は生まれて初めて
高利貸しから多額の金を借り渡米の資金を作った
 
このほかにも英世は恩人知人から
お金を借りまくり、それらはほぼ踏み倒している
小学校の校長から200円(約28万円)
アメリカで後輩から毎週30ドル(約4万円)
帰国のため友人から5000円(約700万円)
彼らは、英世の非凡な才能を見抜き
「埋もれさせてはいけない」と援助を惜しまなかった

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●ライト兄弟より先に飛行機を考えた日本人
 
それは二宮忠八(1866~1936年)
伊予国宇和郡八幡浜浦矢野町(愛媛県八幡浜市矢野町)出身
 
陸軍従軍中、1889年に鳥型飛行器を考案
カラスが羽ばたかずに飛んでいる姿を見て思いついた
1890年には、ゴム動力による模型飛行器を製作
明治24年(1891年)4月29日、3mの自力滑走の後、
離陸して10m飛行、日本初のプロペラ飛行実験を成功させた
 
明治26年(1893年)10月に、
有人飛行を前提にした玉虫型飛行器の翼幅2mの模型を作成
それはライト兄弟が初フライトを成功させる10年前
この玉虫型飛行器を飛ばすためのエンジンの費用を
工面している間にライト兄弟が先に有人飛行に成功した

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1863年、京都 新鮮組詰所
隊をまとめ上げるため、土方は局中法度を作った
掟を背いた者は、切腹
切腹したのは、39人に及ぶ
京都における新選組の死因は、
戦場での死亡よりも規律違反による処刑の方が圧倒的に多かった
 
隊士から鬼と恐れられた土方だが、とんでもない女たらしだった
関係を結んだ女性は数知れず
新鮮組のある京都だけでなく、
全国至る場所の女性と関係を結んでいた
さらにタチが悪い事に、
女性たちと遊ぶ金を遊女に負担させていたという
 
新鮮組の活動資金を援助していた小島鹿之助の下に土方から荷物が届いた
各地の女性から土方に届いた大量のラブレターを見せて、自分がモテることを証明した
この1年前に、土方から手紙が届いた
“嶋原では花君大夫、天神、一元。祇園では芸子が三人程います。北野では舞妓の君菊、小楽。大阪新町では若鶴太夫の他に二、三人もおります。北新地では沢山いて筆では書き尽くせません”
モテっぷりを証明したいために、その1年後にラブレターをまとめて送った
 
また現在の足立区加平の綾瀬川で釣りをしていただけで村中の女性が集まったという

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●少年よ大志を抱け、には続きがある
少年よ大志を抱け、しかし金を求める大志であってはならない
 
●来日は金目当て
1876年(明治9)、札幌農学校(現北海道大学)の開校に伴い、教頭として来日
当時 日本政府がクラーク博士に支払った金額は、7200円
現在の価値で、5000万円
クラーク博士には、11人の子供がいた
農業を教えに来たのに、クラーク博士は、8カ月で帰国
 
●世界一周豪華客船大学を作る計画
船に大学を作る壮大な企画で、300人の学生を乗せて世界一周
2年間 旅をしながら学ぶという
しかし入学希望者が4、5人しか集まらず定員割れ
計画は頓挫し、職を失い、収入が無くなった
 
次に
●金山を買って、ひと山当てようと計画する
パートナーと共同経営の会社を設立、
営業に出向き、出資を募った
しかし共同経営者がお金を持ち逃げ
共同経営者は、詐欺の前科者だったことも判明
1882年、会社は倒産し、借金を現在の価値で2億円
お金を返せなかったことで、訴えられる
心労で倒れ、1986年に他界

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プーチン大統領は柔道8段の実力者
20代の頃には五輪のメダリストも参加する大会で優勝したほど
そんなプーチンの自宅には、
嘉納治五郎の肖像画と銅像があるという
嘉納治五郎は、柔道の創始者
現在の東京大学を卒業後、
1912年の日本の五輪初参加に貢献した
少年時代の治五郎は、勉強はできたが、
背は低く、周りからしばしばイジメられた
大学に入学後は、強くなるために柔術の道場に通った
大きな相手には、なかなか勝てなかった
研究を重ねた末に、
投げようとする相手の力を利用して崩して投げる極意を掴んだ
のちに技の習得を通じて
人の生きる道を学ぶことを柔道と名付けた
 
明治24年、海外視察から日本に戻る船の上で
ロシア人の海軍士官に戦いを挑まれた
自分より はるかに大きいロシア人を投げ飛ばした治五郎は、
相手が地面に叩きつけられた瞬間、
ロシア人が怪我をしないように手を差し伸べて頭を守った
 
プーチン大統領自身も
目標に向けて相手の力を活用したり
交渉を通じて相手のバランスを崩したりすることを身につけ、
それを社会で応用するのが、本当の柔道の目的だ、と語っている

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初代:京介、二代目:春彦、三代目:秀穂
 
●初代:金田一京助は、日本語ではなくアイヌ語の研究者だった
1882年、岩手県の裕福な家に生まれる
家の蔵には、たくさんの本があり、幼い頃から本に親しんできた
文学好きな少年に成長
1904年、東京帝国大学(現 東京大学)の文学部に入学
同級生たちが研究する言語を決定する中、
京助は先生に言われるままアイヌ語を研究することに
アイヌ語は喋ることでしか伝承されず、文献などもほとんど存在しない
1907年、言語研究のため初めて樺太を訪れる
当時は辞書も通訳もない状態で相当 悩んだ
京助は、まず簡単な図形を書き、子供に見せると「ヘマタ?」と言われた
「ヘマタ」とは「これ何?」の意味だと知り、
「ヘマタ」で次々とアイヌ語を記録していった
京助は25年かけ、様々なアイヌ語を調べ上げた
1931年、研究成果を2冊の本にまとめ、アイヌ叙事詩ユーカラの研究を刊行した
しかしアイヌ研究だけでは生活ができず、食い扶持に困っていた京助に
渋沢栄一や柳田國夫らから辞書編纂の仕事を与えてもらった
1943年、京助が編纂した明解国語辞典が刊行
その後、京助のもとに国語辞典の編纂の仕事が舞い込み、
結果64冊も金田一京助 編纂の辞書が誕生した
しかし そのほとんどが京助は携わらず、名前貸しだった
 
●二代目:金田一春彦は、学者ではなく作曲家 志望だった
1913年、金田一京助の長男として東京都文京区に生まれる
春彦が物心つくころには、父は日本を代表する学者となっていた
親の七光りを嫌った春彦は、父とは違う作曲家の道を志した
高校の寮歌を作曲し応募、二度も採用された
しかし先生が弾くピアノの実力の差に愕然、早々に作曲家の道を諦めた
言語学への道を進むことを父に伝えると、
「これを読んでみなさい」とアクセントと方言に関する本を手渡された
京介は息子に跡を継がせたがっていた
そんなときに音楽と言葉を結び付ける研究が生まれた
それを春彦に見せた
春彦は、これなら父に勝てると思った
その後、春彦はアクセントの研究で全国を飛び回り、地方の方言を調査
音楽をしていたことが細かな方言のイントネーションを聞き分け、
新時代の言語学を切り開いていく
そして1949年、「アクセント辞典」の編纂に携わった
1957年、著書「日本語」が65万部のベストセラー
 
1963年3月に発生した吉展ちゃん誘拐殺人事件
犯人は捕まらず、残された手掛かりは、犯人の声だけだった
捜査は難航し、犯人の肉声が繰り返しテレビで放送された
すると「これ茨木か、栃木か、福島の人間だよ」
それを聞いた妻が放送局に電話
すると数日後、正式に警察から捜査協力要請が入る
春彦の発言をもとに警察が動き、約2年後に犯人が逮捕された
春彦は、雑誌やテレビなど様々な分野で人気者に
その後、辞書作りに取り組むように
 
●金田一秀穂は大学卒業後、3年間もニートだった
1953年、春彦の次男として生まれた
上智大学文学部心理学科を卒業後、
秀穂は就職もせず、ニート生活を3年間も続けた
その後、春彦の斡旋で、海外で日本語を教える仕事に就いた
改めて日本語の説明できない難しさに興味を持ち、言語学の道へ
 
●金田一耕助とのつながり
作家:横溝正史 原作の「犬神家の一族」
「八つ墓村」などに登場する私立探偵:金田一耕助
この名前、横溝正史が主人公の名前をどうしようか迷っている時、
たまたま近所に住んでいた金田一京助の弟の家の前を通りかかり、
その表札を見たことで名前を拝借したという

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●織田信長は「占いに根拠なし」を証明しようとした
 
古文書「朝野雑載」に信長が出した御触れが書かれている
“信長と同年同月同日同時に生まれしものを尋ね出し給う”
自分と同じ年月日、時間に生まれた男を探し出せ
 
当時の占いは、生年月日が同じであれば同じような運命を辿るが基本
 
その男が、どういう人生を辿ったのか?と
自分の人生を比較すれば占いに根拠がないことを証明できると考えた
 
そして1人の男が見つかる、その男は、極貧だった
生年月日による占いは、根拠がないと確信した
その極貧男は、「上様と私に差はありません。天下人でも貧しくとも明日のことが分からないのは みな同じなのです」と話したという

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●シェイクスピアのゴーストライター疑惑
シェイクスピア作品の特徴は、
1、庶民に知りえなかった貴族や宮廷内部のリアルな様子を描写
2、他の国に取材や旅行に行けなかった時代なのに
海外の暮らしや情景を詳しく描いている
シェイクスピア
このシェイクスピアの肖像画とされる人物は、
ロンドンから離れた片田舎で育った庶民とされている
さらに海外に行った経験はなく貴族の暮らしも海外の暮らしも知り得なかった
その上、これだけ有名な劇作家であったにも関わらず、
現在 シェイクスピア直筆の原稿が残っていない
 
●シェイクスピアの作品は、全てイギリスの外交官:ヘンリー・ネヴィルが書いていた
この説を唱えているのは、
元ポーツマス大学の講師:ブレンダ・ジェームス
ネヴィルは、シェイクスピアと同時代に生き、
貴族出身の外交官として活躍した人物
 
1、ネヴィルのいとこは、シェイクスピアの故郷
ストラットフォード・アポン・エイヴォンに土地を持っていた
シェイクスピアの家族は、その土地を借りていた
 
2、海外経験の違い
シェイクスピア全37作の内、およそ半数以上が
イギリス以外のヨーロッパ各国が登場する
どの国のシーンも詳細な描写がされており、
シェイクスピアは各国の細かい文化や
生活の違いを熟知していなければならない
ネヴィルは、名門オックスフォード大学に
在学中、ヨーロッパ各地を訪問している
後に外交官となり、フランスに駐在していた
ネヴィルが訪れた国とシェイクスピア作品の舞台が完全に一致する
 
3、シェイクスピア作品の転機との一致
1590年代は明るく陽気な喜劇が多かったシェイクスピア作品だったが、
1601年を境に作風は一変、ハムレットをはじめ、
オセロー、マクベス、リア王の4大悲劇を発表、
暗く深刻な作風が増えた
作風がガラリと変わった1601年、ネヴィルにも転機が訪れていた
1601年、ネヴィルはクーデターに
関わったとして逮捕、ロンドン塔に幽閉された
仲間たちが処刑され、失意の中 辛い日々を送っていた
ネヴィルは、いとこを通じて役者をしていたシェイクスピアに
自分の代わりに作品を発表してもらおうと依頼したのでは…

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●ベートーヴェンはナポレオンのスパイだった
それまでの音楽家は、教会か宮廷の業者でしかなかった
ナポレオンを尊敬していたベートーヴェンは、
宮廷に入るための礼装であるカツラを外し、
自分は民衆のために音楽を作ると音楽家が
アーティストとして確立する革命を起こした
 
1770年、ドイツのボンに生まれる
21歳でオーストリアのウィーンへ
このウィーンに住んでいた頃に、
ベートーヴェンが不審な行動をとっていた証拠が出てきた
・40回にも及ぶ謎の引っ越し
・謎のラブレター
研究者の間では、2つの不可解な点が指摘されている
宛名がなく誰に出そうとしたのか不明
エステルハージという貴族の名前が書かれた一文
当時、ヨーロッパはフランス革命の直後、
市民の革命運動を抑えるため手紙は全て検閲対象だった
ラブレターの中に隠しメッセージを入れることは、
密かに情報を伝えるための有効な方法であった
エステルハージとは、
ナポレオンと激しく対立していた有力な貴族だった
ベートーヴェンは、ナポレオン側の
スパイとして活動していたと考えられている
しかしナポレオンが皇帝になった後、
ベートーヴェンは献呈することを取り消した
 
●民謡を編曲しまくってお金を稼いでいた
レコードもCDもないこの時代、
音楽家たちの収入を支えていたのは、作曲した楽譜の売上
オーケストラ曲は、苦労の割に需要が少ないため金にならない
一方、民謡は、庶民に人気があり、その楽譜が売れる
さらに一から作るより、編曲の方が容易い
稼ぎの良いアルバイトとして民謡を編曲しまくっていた
そしてベートーヴェンは生涯に170曲以上の民謡を編曲した

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