Category Archives: 伝統/慣習

●お会計とおあいその違い
おあいそは、本来 店員から店員に使う言葉
客が「おあいそ」と店員に言うのは間違い
「おあいそ」とは「お愛想」のこと
江戸時代、芸者がいる料亭で使われていた言葉
客が帰る際に、芸者がその料亭の女将に
「最後にお客さんに挨拶して愛想をふってください」
という意味で「おあいそお願いします」と使っていた
「おあいそ」は店員から店員に使う言葉
その女将が、おあいそをするときにお会計も一緒にするので
いつしか「おあいそ」が「お会計」という意味になった
 
●あがり
あがりも芸者がいる料亭で使われていた言葉
声がかかった芸者が、お茶を持ってお座敷にあがることから
声がかかった人のことを「おあがりさん」と呼ばれるように
その後、お茶自体のことを「あがり」と呼ぶようになり
それを聞いた客もお茶を「あがり」と言うようになった

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浮世絵師:葛飾北斎の様々な富士山を描いた富嶽三十六景
中でも有名なのが、「赤富士」
実は「赤富士」は通称
北斎が名付けた正式名称は、「富嶽三十六景・凱風快晴」
●北斎の赤富士の赤は、他人が勝手に塗り替えた
元々の色は、ほぼ白
 
浮世絵は、デザインを元に彫り師が版木を作製
版木は、それぞれの色ごとに作られる
そして擦り師によって色を擦り重ね、色をつけていく
 
赤富士の富士山を赤く塗ったのは、版元
浮世絵師に仕事を依頼して販売する版元
版元は、絵師に許可なく勝手に色を変えても良い権限を持っている
初ずりと呼ばれる最初の200枚までは浮世絵師の指示通り作製するが、
そのあとは、版元の判断で塗り替えることができた

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モアイ像で有名な絶海の孤島:イースター島は、
文字のない時代、
●イースター島のコミュニケーションや伝承は あやとりで行われていた
 
あやとりの様々な形に意味があり、文字の代わりに、
あやとりを お互いのコミュニケーションに使っていた
体を使って覚えるあやとりは、
子供への教育や生きていく上の知識を伝えるのに最適な手段だった
 
●あやとりは日本発祥ではない
モンゴロイドを祖先に持つ環太平洋圏に残っている文化
そのためオーストラリアのアボリジニも
ネイティブアメリカンも あやとりを使う

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♪せっせせーのよいよいよい アルプス一万尺
♪コヤリの上で アルペン踊りを さあ踊りましょう
 
●童謡「アルプス一万尺」のコヤリとは?
 
日本山岳協会:八木原國明によると
童謡「アルプス一万尺」のアルプスは、日本の槍ケ岳のこと
山の標高は、3180m
1尺=約30.3㎝なので1万尺は、約3030mのこと
 
槍ヶ岳の山頂部分は、尖っている槍に似ていることから大槍と呼ばれている
その少し手前の尖った部分を小槍と呼ばれている
 
コヤリは、断崖絶壁の超危険な場所
間違いなくアルペン踊りは、踊れない
 
この曲は、元々古いアメリカ民謡で独立戦争の時にも歌われた曲
日本に伝わったのち、登山家たちが冗談で替え歌にしたモノが
童謡「アルプス一万尺」として世に広まった
 
良く歌われる歌詞は1番で、29番まで存在する

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●ワタナベさんは節分の豆まきをしなくても良い
平安時代中期、大江山の鬼退治
鬼を退治にしに行く源頼光は、配下の四天王を連れて行った
その中に武勇を誇った渡辺綱がいた
渡辺綱は鬼の腕を叩き切った
鬼は、渡辺を恐れ、
ワタナベに関わるのはやめようと協定が鬼の中で結ばれた
 
恐れられているワタナベさんは、
わざわざ豆まきで鬼を追い出す必要がない
渡辺綱の子孫が多く残る宮城県村田町では、
節分の時に鬼を逃さないために
「福は内、鬼も内」と掛け声をあげる
 
また金太郎のモデルとなった坂田金時も
源頼光の四天王として鬼と闘い、
坂田家も鬼から恐れられ、豆まきをしない風習がある

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●歌舞伎の掛け声のプロ集団:大向こうの会はスカウト制
 
大向こうの会は、東京に3つ、大阪、名古屋、福岡にそれぞれ1つある
 
大向こうとは、舞台から最も離れた客席のこと
大向こうの会に入会すると劇場のフリーパス(門鑑)が貰える
歌舞伎の掛け声は、役者への声援だけでなく舞台演出の1つ
 
歌舞伎大向こうの会 弥生会の堀越さんは、
25歳の若さで異例のスカウトされた
幼い頃から歌舞伎が好きで、その日も客席から声をかけていた
すると休憩時間「ちょっと君!」
突然見知らぬおじいさんから声をかけられた
「君の掛け声は見どころあるよ。ぼくこういう者だけど。しょっちゅう来るんだったら うちの会長に紹介するよ」と名刺を渡された

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●成人式のルーツは、元服と裳着
 
そもそも成人式のルーツは、
奈良時代以降に行われた男性の元服、
女性の裳着と呼ばれる儀式
 
昔は12歳~16歳の間に成人を迎えたとされ、
美しく着飾って神社にお参りをしたと言われている
 
女性は振袖を着て、神社に向かったが、
より美しく、よりオシャレに見せるため
競うように着物の袖を長くした
 
そのため当初、約60㎝だった袖の長さが、
1mを超えるようになり、現在では1m15㎝が一般的になった

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日本人は古くから色に対する感覚が鋭く、
夜明けの東の空を、東雲色、
市川團十郎が愛した色を団十郎茶と表現するなど多彩
 
定式幕の緑色を萌葱色という
萌葱色は平安時代から使われている表現で
葱の萌えるような新芽の色
 
東京の地名が入った色も存在する
明治になって色んな染料が外国から入って来た
その中で緑がかったハイカラな青色を
当時の新橋の芸者に好まれたことから新橋色と名付けられた
新橋色は、ゆりかもめの新橋色のテーマカラーとして使われている
 
灰色を鼠色と表現したのは、家事の多い江戸で灰という表現が嫌われたため

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