Category Archives: 名所/史跡

大阪歴史博物館:大澤研一によると
●大阪城の石垣は、昆布のぬめりを利用して運ばれた
 
昆布を水で戻すと、ぬめり成分が出てくる
大阪城築城の際、巨石を運ぶため、
昆布を丸太の下に敷き、ぬめりを潤滑剤にしていた
 
この時 もたらされた大量の昆布は、
胃袋を満たすためにも使われ、
これまで大阪に無かった昆布出汁の文化が
根付いたと言われている
 
昆布のぬめり成分は、アルギン酸という食物繊維
腸内環境を整え、便秘が解消、ぽっこりお腹に効果的

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フランス パリのエッフェル塔
1889年、パリ万博のためセーヌ河畔に建設された
設計者は、ギュスターヴ・エッフェル
建設を受託したエッフェル社の代表でもある
 
●エッフェル塔には、エッフェル一族の部屋がある
それは地上276.13mにある最上部の一室
現在は、当時の様子を再現したろう人形が展示されている
 
その部屋でエッフェルは、気象観測、
天体観測、生物学的観測、無線逓信研究を行い、
1903年、70歳をすぎて改めて風の制御に関する研究にとりかかり、
1909年、エッフェル型と称される風洞を建設した

(2)

富士屋ホテルの建築様式は独特
屋根は神社や白などに用いられた千鳥破風や
唐破風など日本ならではの造りが施されている
館内の至るところに和の彫刻
入り口には日本最古の回転扉
内観はモダンな雰囲気が漂う外国のような空間
当時、数カ月かけて来る外国人のために
荷物の量に合わせてクローゼットは広く設計され、
身長の高い外国人に合わせて、
平均より10㎝高くドアノブが設置されている
 
●箱根 富士屋ホテルは、20年間 日本人が宿泊禁止だった
 
明治26年~大正元年までの20年間、
富士屋ホテルの創業者:山口仙之助が
外国人のみの受け入れを行ってきた
明治の開国以後、日本の金が大量に海外に流出した
何とか外貨を獲得したいと、
外国人の金をとるを以って目的とする富士屋ホテルを開業
慶応義塾大学で学び、福沢諭吉から
実業家になることを勧められた人物
山口は、箱根の旅館のライバルである奈良屋旅館と話し合いした
「富士屋ホテルは外国人専用にしたい、日本人は全て奈良屋旅館に回します。この条件を受け入れてくれるなら、毎年 報酬を支払いますよ」と

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●ピサの斜塔は、建設途中で傾き始めた
 
ピサの斜塔の前にある看板では、
傾き始めた様子が説明されている
 
工事が始まった頃には、まっすぐ建っていたが、
3階くらいまでの高さまで塔ができたとき、
地盤沈下により、塔が傾いてしまった
その後、軌道修正し、何とか倒れずに完成させた
そのため途中から角度が変わっている
 
高さは地上55.86mのピサの斜塔だが、
元々の建設計画では、現在あるものよりも
遥かに高い塔ができる予定だった

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●神田明神の天野屋は弟の仇討ちのために開業された
 
神田明神の大鳥居にある甘酒が頂ける天野屋
創業は170年、江戸後期の弘化三年、1846年
 
丹後 宮津藩の天野新助は、江戸の千葉道場で腕を上げ、
妬まれて暗殺された弟の仇討ちのために
店の前の通りは、京都と江戸、日本橋を結ぶ中山道
この地にいれば仇に会えるだろうと
武士から町人となり、店を開いた
 
結局、仇討ちはかなわず、どぶろくを作り始めた
のち自家製の米糀で甘酒を作るようになり、
170年間 継がれている

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●地獄に通い閻魔大王に仕えていた小野篁
 
小野篁(おののたかむら)
遣隋使で有名な小野妹子の平安時代の子孫で、
昼は天皇に仕え、夜は閻魔大王に仕えていた
夜な夜な、六堂珍皇寺の井戸から地獄に通い、
地獄の裁判を手伝っていたと伝えられる
身長190㎝、威圧感と反骨精神で人々に恐れられていた
 
六堂珍皇寺には、小野篁が作ったとされる閻魔大王像と
小野篁像が安置されている
年に2度、特別参拝期間のみ拝められる

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●日本史上最恐の怨霊:崇徳天皇を祀る白峯神宮
その門には、皇族下馬下乗の立て札がある
皇族でも馬や輿を降りなければならない
祀っているのは、第75代 崇徳天皇
1156年、政権争いに敗れ、四国に流された崇徳天皇は、
死者の冥福を祈り、自らの血で写経し、
朝廷におさめようとしたのだが、
朝廷から破られた写経がつき返された
これに怒った崇徳天皇は、舌を噛みきり
「日本国の大魔縁になる」と言い残し亡くなったと伝えられている
その後、平家、源氏と続き、徳川まで政権が天皇家に帰ってこなかった
 
大政奉還で政権が帰ってくると、
明治天皇が最も心配したのは、崇徳天皇の呪いだった
そこで崇徳天皇の呪いを鎮めようと1868年に創設されたのが白峯神宮

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●鬼と呼ばれた僧侶:元三大師
 
平安時代、比叡山延暦寺を建て直した実在の僧侶
その昔、平安京を襲う疫病を、元三大師が鬼の姿に変わり、
疫病を振りまく神々を追い出した
その伝承は今でも各地で生きており、
厄除けのお札として親しまれている
元三大師が鬼の姿に変化した像が廬山寺に安置されている
 
その像は、見る人の心を見透かす像として知られている
元三大師の鬼大師像を見て、
笑っていると思った人は、心が穏やかな状態
厳しい顔に見える人は、悩みがあると言われている
 
ちなみに、元三大師は寺社のおみくじを考案したとも言われている
昔は僧侶が1~2時間かけて答えていた

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●京都誕生のきっかけとなった早良親王を祀る御霊神社
京都御所の北側に位置する御霊神社
江戸時代の観光書「都名所図会」では、
数ある観光地の中で京都御所に次いで二番目に記載されている
お祀りする神様は、桓武天皇の弟 早良親王
 
遷都した794年の少し前、京都市の隣 長岡市に都があったころ、
無実の罪を着せられ早良親王が亡くなった直後から、
大災害や疫病が流行し長岡京は荒れ果てた
すべては弟の怒り…そう考えた桓武天皇は、
都を現在の京都に移し、その際、何より先に造らせたのが、
早良親王の魂を強く鎮める御霊神社だった
 
日本には古来より、非業の死を遂げた人物を祀り、
負のパワーを鎮めることで後利益に変える信仰がある

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1661年に建てられた水舎門(赤門)を抜けると…
・250個以上もの灯篭が立ち並ぶ
石灯篭が209基、銅灯篭が48基、計267基
各地の大名が家康気に入られるために奉納した灯篭
唐門の脇にある6基の灯篭は、徳川御三家が奉納
 
・柵で仕切られた五重塔
これは旧東照宮の五重塔
明治政府の神仏分離令で寛永寺の所有となり、
現在は東京都に寄付され、上野公園の敷地内にある
 
・御神木:樹齢600年の楠
この辺りは、幕末の戊辰戦争でほぼ全ての建物が消失している
その後、さらに東京大空襲も
東照宮に落ちた焼夷弾が不発となり、東照宮だけは無傷だった
参拝者は、御神木の落ち葉が人気でお守りとして持ち帰っている
 
・左甚五郎作の龍の彫刻
唐門の両脇には、左甚五郎の龍の彫刻がある
上を向いているのが降り龍、下を向いているのが昇り龍
偉い人ほど首を垂れるという家康の教えが込められている
 
・黄金の社殿、家康の御神像がおさめられた本殿
江戸幕府の御用絵師:狩野探幽が描いた獅子が壁を彩る

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