Category Archives: 発祥/起源/きっかけ

築地、文字通り、地を築くと書いて築地、元々は海だった
 
江戸の半分が焼けた明暦の大火で浅草の南側にあった本願寺の本堂が焼け落ちた
江戸幕府による区画整理のため旧地への再建が許されず、
その代替地として八丁堀沖の海上が下付された
そこで佃島の門徒が中心となり、
本堂再建のために海を埋め立てて土地を築いた
その場所が、築地
 
その後、その周辺には、海軍大学校や外国人のための建物が建てられた
 
日本橋魚河岸は、江戸幕府に魚を納めた余りの魚を
市中で売ることを許された漁民、商人が
船による運送の便のよい日本橋の河岸周辺に集まって発展してきた
 
1923年9月1日に起きた関東大震災で東京は壊滅した
同12月、水運、陸運に恵まれていた旧外国人居留地や
海軍大学校の土地を借り受けて、
臨時の東京市設魚市場を開設したのが、築地市場の始まりとなる

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600年以上 ういろうを作り続ける外郎家
小田原にあるういろう本店は、
多数の棟を配置し屋根を重ねる八棟造り
現在の店舗は、平成に改築されたものだが、
500年前から外郎家は代々八棟造りを守っている
 
室町時代 三代将軍の足利義満の下、幕府に仕えていた外郎家
海外の使節団が日本にやってきた際、
外交を担当していた外郎家の2代目が、
もてなし菓子として作ったのが、ういろうの始まり
当時は、高価な栄養剤だった黒糖と米粉を合わせて蒸したお菓子
現在も無論地時代と同じ製法で造られている
 
●歌舞伎演目 外郎売
外郎家の家伝薬で二代目 市川團十郎の喉の病が治り、
小田原まで尋ねて来た
この薬を歌舞伎の演目として創作してはどうかと、
十三代目の外郎家当主に掛け合ったが、「宣伝は困る」と一度は断った
「正しい薬を服用してもらう必要がある」と説得され、創作を許可した
こうして歌舞伎演目「外郎売」は、二代目 市川團十郎に創作される
現在も外郎売を演じる時には、市川家は代々外郎家に挨拶に来る
 
薬によって喉の病から回復し活舌が良くなったことから、
外郎売には早口言葉が多く盛り込まれている

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●硬貨の縁にギザギザがつくようになったワケ
江戸時代に使われていた大判小判
大判小判は、本物の金で造られていた
縁にはギザギザがなかったため、大判小判縁削り事件が多発
縁を少しだけ削り取って削りカスを質屋に持っていき、お金と交換
バレない程度に縁を削った大判小判も普通に店で使う
明治時代になると金貨と銀貨が発行されたときに
削られるのを防止するために縁にギザギザを付けた
 
●50円玉、100円玉、500円玉の縁にギザギザがついているワケ
50円玉、100円玉、500円玉は、金や銀で造られていない
ギザギザが作られるきっかけは、昭和26年のギザ10
当時は、1円玉や5円玉しかなく新しく造られた10円玉が
一番金額が高く、偽造防止のために縁にギザギザがつけられた
昭和30年、一番高い50円玉が発行され、
偽造防止のために縁にギザギザがつけられた
昭和32年、一番金額が高い100円玉が発行され、
偽造防止のために縁にギザギザがつけられた
昭和57年、一番金額が高い500円玉が発行されたが、
ギザギザよりも、さらに偽造されにくいNIPPONと500の文字が側面に刻印された
しかしギザギザがついていたほうが、偽造されにくいということで
平成12年に斜めギザギザからつけられた
 
●50円玉と100円玉の縁にギザギザを残したワケ
50円玉は、5円玉とほぼ同じ大きさで穴も開いているので
触って5円玉と区別するためにギザギザが残された
同じ理由で100円玉も10円玉とほぼ同じ大きさなので
区別しやすいようにギザギザがついている

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●太陽光発電の歴史は意外に古い
 
誕生は、1954年 アメリカ ベル電話研究所
ピアソン、フラー、シャピンの3人の研究者が、
トランジスタの開発過程で副産物として偶然 発見
 
1958年に打ち上げられた人工衛星ヴァンガード
その電池として採用され初の実用化となった
ソ連の人工衛星の電池が
21日しかもたなかったのに対し、6年間も稼働した

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●ティーカップに取っ手がついている理由
 
紅茶は中国で生まれ、中国の人は、取っ手の無い茶器で飲んでいた
その茶器が紅茶と一緒に17世紀初頭にヨーロッパに伝わり、
中国と同じように取っ手のついていない茶器で紅茶を飲んだ
当時のヨーロッパでは、水は一度沸騰させて
殺菌しなければ飲めなかったため熱湯で紅茶をいれていた
 
キューバなどの西インド諸島で砂糖が大量生産され、
紅茶に砂糖を混ぜて飲む文化が誕生した
しかしその頃の砂糖は氷砂糖のように硬く、
溶けにくいため非常に混ぜにくかった
そこでカップをしっかり支えられるように取っ手が付けられた

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ピザが日本で初めて入ってきたのは、1944年
 
第二次世界大戦中、
座礁したイタリアの船が偶然 神戸に停泊することになった
その船には、イタリア海軍の最高司令官の
専属シェフ:アントニオ・カンチェーミが乗っていた
 
停泊中、アントニオ・カンチェーミは、
神戸にイタリアンレストランを作り、ピザを提供
それが、日本で初めてピザが食べられた最初だった
 
その店が、1985年に南青山に移転したアントニオ南青山本店

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●ライト兄弟より先に飛行機を考えた日本人
 
それは二宮忠八(1866~1936年)
伊予国宇和郡八幡浜浦矢野町(愛媛県八幡浜市矢野町)出身
 
陸軍従軍中、1889年に鳥型飛行器を考案
カラスが羽ばたかずに飛んでいる姿を見て思いついた
1890年には、ゴム動力による模型飛行器を製作
明治24年(1891年)4月29日、3mの自力滑走の後、
離陸して10m飛行、日本初のプロペラ飛行実験を成功させた
 
明治26年(1893年)10月に、
有人飛行を前提にした玉虫型飛行器の翼幅2mの模型を作成
それはライト兄弟が初フライトを成功させる10年前
この玉虫型飛行器を飛ばすためのエンジンの費用を
工面している間にライト兄弟が先に有人飛行に成功した

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●世界初の腕時計は、戦場で死なないために誕生した
 
1890年頃、腕時計のルーツとなった時計は、
懐中時計を腕にはめるために作られた革製のケースとバンド
その時計を使ったのは、戦場の兵士
懐中時計をポケットに入れておくと
ポケットから出すのに手間取り、撃たれてしまう
さらに懐中時計の裏面が反射し、相手に居場所がバレてしまう
そこで兵士が工夫して懐中時計を腕に巻いた
 
現在、スイスにあるオメガ ミュージアムに展示されている

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●おせんべいの名の由来は、おせんさんが作ったから
 
埼玉県草加市は、おせんべいの発祥の地
草加のせんべい店は、元々日光街道沿いの茶店
団子を売っていたが、日持ちがしなくて余ってしまう
捨てるのが勿体ないと余った団子を
潰して干して焼いて食べたのがきっかけ
 
そして初めて潰して干して焼いて食べたのが、
おせんさんという女性だったことから、
おせんべいと言うようになった

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●おかきの名の由来は、手で砕く行為
飛鳥時代、神様にお供えしていた乾燥して
硬くなった餅を勿体ないので
手で小さく砕き、焼いて食べていた
手で砕く行為を「欠く」と言っていたので、
その食べ物を「おかき」と言うようになった
美味しさが評判となり、餅米から作られるようになった
 
●おかきとあられの違い
大きいモノを「おかき」、
小さいものを霰に似ていることから「あられ」と呼ばれている

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