Category Archives: 発祥/起源/きっかけ

戦後、日本は大変な食糧不足で配給制になった
さらに1947年にGHQが一括管理し、
配給された外食券が使える食堂や旅館、
喫茶店以外の飲食店を全て営業停止にした
 
その中で寿司屋も営業停止になった時期があった
 
GHQの統制に逆らって営業できないので寿司屋は、
米を持って来れば加工します、鮨の委託加工として営業を続けた
 
●カッパ巻きは、戦後の食糧難の中に誕生した
そのころ、明治元年創業の早稲田 八幡鮨の安井さんは、
その辺にあったキュウリを鉄火やかんぴょうの代わりに巻いてみた
発案したのは、カッパ巻き
カッパ巻きは、戦後の苦境の中で生まれた

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●成人式のルーツは、元服と裳着
 
そもそも成人式のルーツは、
奈良時代以降に行われた男性の元服、
女性の裳着と呼ばれる儀式
 
昔は12歳~16歳の間に成人を迎えたとされ、
美しく着飾って神社にお参りをしたと言われている
 
女性は振袖を着て、神社に向かったが、
より美しく、よりオシャレに見せるため
競うように着物の袖を長くした
 
そのため当初、約60㎝だった袖の長さが、
1mを超えるようになり、現在では1m15㎝が一般的になった

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1929年、ニューヨーク市場で株価が大暴落
これに端を発し、世界的に大不況が起こった
アメリカでは物価が下がる急激なデフレが起こり、
トウモロコシの価格は下落、値段が半分以下にまで落ちた
それをきっかけにポッポコーンは、
庶民の安価な食べ物として広まり、
映画館でも娯楽のお供として食べられるようになった
 
●映画館のポップコーンが定番になったワケ
 
1、食べる音が小さく、映画に集中できる
 
2、原価が安い
飲食店の原価率は、約30%と言われているが、
ポップコーンの原価率は、10~15%
販売価格500円のポップコーンであれば、
原価50円で450円が粗利になる
映画館にとってポップコーンはドル箱商品
映画館の主な収入はチケット代金だと思われているが、
チケット料金の約半分が映画館の取り分
中にはポップコーンが売り上げの
半分を占める映画館もあるという
 
3、掃除がしやすい
映画の幕間は、20分~25分、
その短時間で掃除をしなければならない

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店舗ではなくメディアを利用して商品を展示し、
消費者から通信手段で注文を受け、商品を販売する通信販売
 
●日本初の通販は、トウモロコシの種
 
1976年(明治9年)、津田仙が創刊した農学雑誌に掲載された
 
アメリカ産の甘いトウモロコシの種
 
全国各地の農家に届けるため通販が開始された
 
お金は先払いで、1袋10銭(約2000円)
後日、トウモロコシの種は郵便で届けられた

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●将棋盤の裏の凹みを、血だまりと言う
その昔、対局に口を出した第三者の首を切って
ひっくり返した将棋盤を台にし、
首を置いて血を溜めたという伝説がある
 
●将棋盤の足は、くちなしの実に似ている
勝負に口を出すな、という意味が込められている
 
将棋の起源は、古代インドのチャトランガ
チャトランガが伝わった西洋にはチェス、
中国にはシャンチー、朝鮮半島にはチャンギが根付いた
「相手側から取った駒を自分側の駒として盤上に打って再利用できるルール」
日本に伝わった将棋は毒直のルールである持ち駒が生まれる

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シーボルトがオランダに持ち帰った日本のコレクション
それらは、ジャポニズムとして18世紀の西洋を席巻
 
葛飾北斎の絵は、モネやゴッホなど印象派の画家に影響を与えた
 
黒く艶のある漆器は、上流階級の貴族が魅せられ、
漆塗りそのものをジャパンと名付けたほど
 
19世紀、西洋では漆を手に入れるのが難しかったため、
ラッカーを塗り重ねて漆のような艶を出す技術が開発された
 
元々、ピアノは木目が見えるように仕上げるのが主流だった
しかし日本の漆器に魅せられた西洋の貴族たちが、
ピアノを漆のように黒くすることを求め、以来 黒が主流となった
 
ちなみに東京にあるオランダ大使館は、
長崎の出島を模して造られている

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●日本で初めて蛍光灯が使用されたのは、法隆寺
1940年、金堂壁画を照らすため
試作品の20ワットの蛍光灯を使用したのが最初
 
エアコンの8畳~12畳などの幅は、木造と鉄骨の違いで幅がある
木造の場合8畳、鉄骨の場合12畳
 
●照明の8畳~12畳などの幅は、年齢の違い
光を感じにくい高齢者は8畳、光を感じやすい子供は12畳

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240年前、バドミントンの原型とされる
羽根を打ち合うインドの遊び「プーナ」が、
ヨーロッパに伝わる前に、長崎の出島に伝来
 
当時は、網ではなくダチョウの皮、
シャトルにもダチョウの羽根が使われていた
 
この遊びを後にインド帰りの兵士が1873年にイギリスに伝える
プーナを紹介するためにシャンパンの栓に
鳥の羽根を刺したものを用い、
それをテニスラケットで打って見せた
紹介した場所が、イギリスの
バドミントン荘という邸宅であったため、
バドミントンという名称がついたという
 
出島にはバドミントン伝来之地という碑が立てられている

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●叙々苑の看板文字を書いたのは、爆笑問題 太田光の父
1976年、六本木に1号店を開店した際、
太田光の父:大田三郎が内装を手掛けた
元々、建築家であり書道界であった大田に、看板の書を依頼した
 
●叙々苑が最初に始めたモノ
・無煙ロースターを東京で初めて導入
1980年代半ばに大阪の焼肉店が使用していた無煙ロースターを
焼肉チェーン店として東京で初めて導入
 
・諸説あるが、タン塩の発祥
タン塩が叙々苑でメニュー化されたのは、1980年前後
当時、ごく一部の焼肉店では、味噌ダレを付けた牛タンや
タンシチューのメニューは存在していた
「塩振って焼いて食べると美味しいよ」と業者の食肉店に勧められ、
メニュー化してみたら好評を得た
 
・1980年ころ、布エプロンの導入
多少タレが飛んでも服まで染みないものをという女性客の要望から
 
・タン塩にレモンダレは、叙々苑が発祥
タン塩にレモンダレを付けて食べるのは、ホステスのわがままから生まれた
1980年ころは、何もつけないで食べることが多かった
深夜にアフターでタン塩を食べに来たホステスから、
「美味しいけど熱くて食べられない。タン塩用のつけダレはないの?」
「レモン好きだからマスター レモン持ってきてよ」
レモンを切って持っていったところレモンを搾ってタン塩を食べ始めた

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●アンティークとヴィンテージの違い
作られた年代が100年以上前のモノをアンティーク
作られた年代が100年より前のモノをヴィンテージという
 
1900年代初頭までは、製造された年に関係なく
古くて価値のある全てのモノをアンティークと呼んでいた
1934年にアメリカで、100年以上前に作られた美術品、
工芸品には課税しないという通商関税法ができた
これを機に100年以上の古いモノをアンティークと呼ぶように
100年以上経っていないモノは、
特に呼び名がなくただの古いモノという扱いだった
 
1980年代、バブルの日本は、世界中のアンティークを買い占めた
市場にアンティークが無くなってしまい、
世界の骨董業界は、100年経っていなくても価値のあるモノを
売り出そうとヴィンティー時と呼ぶことにした
元々ヴィンテージとは、ワインにするブドウの収穫された年をさす言葉
そして古いワインには価値があることから、
そのイメージを引用した

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