Category Archives: 食べ物/飲み物

9年連続、ミシュラン3つ星を獲得
京都と東京の支店も星を2つずつ獲得
合計7つの星を持つ料亭 菊乃井
そんな菊乃井は、和食の伝統を真っ向から否定し、
合理的に料理と向き合っている
 
●勘や経験を否定
定規を用いて野菜を切り、量りやタイマーは必須アイテム
和食では常識である勘と経験でやっても正確さを欠く
 
●「仕事は目で盗め」も否定
新人に付きっきりで指導を行っている
 
●秘伝のタレを守るのではなく、分析すればいい
そんなに大事なら、何が美味しいのかを分析するべき
 
3代目 村田吉弘によると
料理は、はかりさだめることわり、料理は科学である
 
●昆布だしの伝統を否定
昆布だしは、沸騰直前に鍋から上げる従来のやり方ではなく
分析した結果、60℃で1時間煮ると
旨味成分グルタミン酸が3割上昇することが分かった
今ではすべての店舗でこの方法で昆布だしをとっている

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●イクラは、ロシオ語で「魚卵」を意味する
 
鮭の卵巣は、筋子
筋子をほぐしたものを「イクラ」と言うが、
イクラは、実はロシア語
 
1905年(明治38年)、日露戦争でロシアに勝利した日本は、
当時、ロシア領だったカムチャッカ半島で
漁を始めることになった
そこで多く獲れたのが鮭
当時、日本では鮭の卵を「筋子」と呼んでいたが、
鮭の卵を食べていたロシア人は、
鮭の卵を魚の卵を意味する「イクラ」と呼んでいた
そんな中、日本の企業がカムチャッカ半島に
工場を造り、鮭の卵を缶詰の製造を始めた
筋子の状態では缶詰に入らないので、
ほぐして缶詰に詰めることに
現地のロシア人が、鮭の卵を「イクラ」と呼んでいたので、
イクラの缶詰という商品名にし、日本各地に広まった

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大根は先端にいくほど辛い
さらに同じ品種の大根でも辛さに差が生まれる
 
●柔らかい土で育った大根は辛くなく、硬い土で育った大根は辛い
土が硬いとストレスとなり、辛味成分が生成されやすくなる
 
●辛い大根と辛くない大根の見分け方
大根の表面にあるくぼみを見ればよい
辛い大根は、硬い土でねじれながら成長するので、
くぼみの並びが斜めになる
 
辛くない大根は、柔らかい土の中でねじれずに育つので、
くぼみの並びが真っすぐになる

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●おじやと雑炊の違い
おじやと雑炊の材料は、同じだが、1つだけ作業工程が異なる
おじやは、ご飯をそのまま鍋に入れるが、
雑炊は、ご飯を水で洗って、ぬめりをとってから鍋に入れる
 
●雑炊が誕生したのは戦国時代
戦の最中は、ゆっくり食事する暇がない
炊いたご飯を煮るとドロドロして食べるのに時間がかかる
そこでご飯を水で洗ってから煮ることで
サラサラと汁のようにかきこめると考案された
 
●雑炊は、元々増水と呼ばれていた
増水は、水分を増した料理として増水と呼ばれていた
その後、野菜や肉、魚介を加えるようになり、
雑多なモノと炊くという意味で雑炊という字をあてるようになった
 
●おじやの「じや」は、ご飯を炊く音に由来
おじやが誕生したのは、室町時代
宮中に仕える女性は、「おにぎり」や「おひや」など
言葉の頭に「お」をつける独特な文化があった
おじやを作る時、ご飯が煮える音が
「じやじや」と聞こえたことから「おじや」と呼ばれるようになった

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メンマをラーメンに入れるのは、日本独自の文化だが、
●メンマの9割は中国産
 
原料となるのは、気温の高い中国南部や台湾が
主な産地の麻竹の筍で日本ではほとんど採れない
麻竹を刈り取り、輪切りにし、大きな釜で3時間煮る
約1か月間、自然発酵させることでメンマ独特の甘味や酸味が生まれる
発酵して柔らかくなった筍を籠に並べ、3日から1週間ほど乾燥
工場で厚みや大きさ、色味などで選別し、機械で細切れにする
再び天日乾燥させて日本に出荷
メンマの名称の生みの親である台湾出身の松村一族が
経営する丸松物産の工場で乾燥したメンマを熱湯に3日間浸けて完成となる
 
元々、支那竹と呼ばれていたが、
支那という単語に台湾政府が抗議したため名称を変える必要があった

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●からしとマスタードの違い
 
どちらも菜の花に似たアブラナ科のからし菜の種が原料
2つの違いは、からし菜の品種
からしは、鼻にツンくる辛いオリエンタルマスタード
マスタードは、あまり辛くないイエローマスタードの種が使われている
 
種のままだとあまり辛くなく、すり潰して水を加えると辛味が発生する
 
マスタードは、種を酢に浸けることで辛味を抑えている

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●佃島
本能寺の変で織田信長を討った明智光秀は、
堺にいた徳川家康も標的としていた
逃げる家康の前に大きな川が立ちふさがる
困っていた家康を船で渡らせたのが、佃村に住む漁民だった
命からがら逃げることに成功した家康は、1603年、江戸幕府を開く
命を助けてもらった佃村の漁民を江戸に呼び寄せ、
徳川家専属の漁師として招き、現在の月島の近くに土地を与えた
彼らが住んでいた場所を佃島と名付けた
 
●佃煮
佃島の漁師は、漁で捕れた大きな魚を徳川家に献上し、
売り物にもならない小さな魚は塩水で煮て食べていた
江戸中期、庶民にも醤油が出回ると
佃島の漁師は余った魚を醤油で煮て食べるように
その醤油で煮た魚が美味しいと評判となり町で売り出し、全国に広まった
佃島で作った煮ものを佃煮と呼ばれるようになった

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鮭には、シャケとサケの2つの呼び方がある
シャケはサケから生まれた言葉ではなく、
全く別々に生まれた呼び方で、どちらが正しいワケでもない
 
●先に生まれたのは、サケ
平安時代に作られた延喜式という法令集には、
伊豆はサケの干物を120匹 納めなければならないと書かれている
平安時代には、サケが一般的だった
鮭の由来は、鮭の身が裂けやすいため
 
●シャケは、江戸時代から使われ始めた
アイヌ語で鮭を意味する言葉が、変化してシャケになったと考えられている
北海道で暮らしていたアイヌ人は、鮭を食べ、鮭の皮で服や靴を作っていた
アイヌ人は、鮭をシャケンベと呼んでいた
江戸幕府とアイヌ人は、鮭と米を交換する交易をはじめ、
江戸の町に大量のシャケンベが届けられた
その後、シャケンベのシャケだけをとり、シャケと呼ばれるようになった

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●ペットボトルの牛乳が少ないワケ
 
牛乳は、他の飲み物よりも
栄養価が高い分、細菌が発生しやすい
常温に置くと、さらにその危険が増す
持ち運びやすいペットボトルで牛乳を販売すると、
常温で持ち運んでしまい、細菌が増殖する可能性がある
 
そのためペットボトルの牛乳は、製造できなかったが、
2007年、業界の働きかけで乳等省令改正し、
ペットボトルの牛乳の製造が認められ、
少なからずペットボトルの牛乳が商品化されている

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