京都」タグアーカイブ

●京都には道路しかない町がある
 
それは、京都市桑原町
京都御所と京都地方裁判所の間にある道路の一角
 
元々は、裁判所までが桑原町だったが、
裁判所ができたときに別の地名がついてしまい、道路だけ地名が残った
普通、道路しかなければ地名は、無くなるモノだが、
桑原町は「くわばら くわばら」の由来
 
「くわばら くわばら」とは落雷を避けるための呪文
桑原町には、昔 菅原道真が住んでおり、雷が落ちなかった
雷が落ちなかった恩恵が元となり、雷を避ける呪文とされた
そのため桑原町の地名を無くしてしまうのをためらい、道路しかない町となった

(201)

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●清水の舞台から飛び降りるは、実際に236人が飛んだから生まれたことわざ
清水寺の高さは、約13m、マンション4階分に相当する
近年、清水寺の蔵から成就院日記(清水寺で働いていた人の業務日誌)全221巻(1694
年からの141年分)が発見された
この成就院日記に236人が飛び降りたことが書かれている
そこには飛び降りた理由も書かれている
例えば、眼病を治したい、母の病気を治したい、自由な時間が欲しい、など
飛び降りた人たちの生存率は、意外と高く84%
当時 舞台の下の土が柔らかかったためだと言われている
 
清水の舞台から飛び降りるとは、命を落とす危険のある命懸けの願掛けだった
願いを叶えるために思い切った行動を起こす、が転じて
強い決意で物事に取り組む、という意味になったと言われている
 
●最初に飛び降りたのは、今昔物語に書かれている検非違使の忠明
昔 京都の街は、警察官の役目となる検非違使が警護していた
その中に清水寺を周辺を警護している忠明(ただあきら)という男がいた
ある日、忠明が見回りをしていると神聖な清水の舞台でたむろする不審者を目撃
「おい!お前たち何をやっているんだ!」
すると不審者たちは刀を抜いて抵抗
追い詰められていく忠明は、本堂の板張りの扉を強引に外した
死を覚悟した忠明は、願いを込めて「お助け下さい!観音様!」と叫んだ
次の瞬間、忠明は戸板を抱えたまま、舞台を端まで行き、飛び降りた
戸板が空気抵抗を生み、無事に着地、不審者たちから逃げ切ることができた
この一連の話から、清水寺の観音様に願い事をすれば叶うとされ、ことわざが生まれた

(613)

●京都弁の挨拶「おいでやす」と「おこしやす」の違い
 
通りがかりに入ってきた客には「おいでやす」
遠くから来られた客や予約客には「おこしやす」
 
飲食店などでは、それを符丁にして
「おいでやす」と厨房に聞こえたら予約していない客、
「おこしやす」と聞こえて来たら、
予約の客が来たことを暗に知らせるために使っていたことも
 
一般的には、「おこしやす」の方が
丁寧な言い回しとして使用している

(540)

●京都誕生のきっかけとなった早良親王を祀る御霊神社
京都御所の北側に位置する御霊神社
江戸時代の観光書「都名所図会」では、
数ある観光地の中で京都御所に次いで二番目に記載されている
お祀りする神様は、桓武天皇の弟 早良親王
 
遷都した794年の少し前、京都市の隣 長岡市に都があったころ、
無実の罪を着せられ早良親王が亡くなった直後から、
大災害や疫病が流行し長岡京は荒れ果てた
すべては弟の怒り…そう考えた桓武天皇は、
都を現在の京都に移し、その際、何より先に造らせたのが、
早良親王の魂を強く鎮める御霊神社だった
 
日本には古来より、非業の死を遂げた人物を祀り、
負のパワーを鎮めることで後利益に変える信仰がある

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