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将棋の歩は、1マスしか進めないが、

相手の陣地に入ると「と」に裏返り、

金と同じ動きができる強い駒になる

銀や桂馬なども裏返ると金と同じ動きができるが、

その文字は、漢字が使われている

 

●将棋の歩の裏が「と」になったワケ

 

実はこれ、平仮名の「と」ではなく漢字の「金」

歩は将棋の駒の中で最も枚数が多く、全部で18枚ある

1枚1枚に職人が金を書くのが大変だったため

歩の裏は、崩し文字となった

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●将棋の駒が、王将と玉将に分かれているワケ
 
平安時代、将棋が誕生したころは、王将は存在せず、玉将だった
玉将の玉には、宝石、宝物という意味がある
玉将を王将に変えたのが、豊臣秀吉
将棋好きだった豊臣秀吉が、王じゃなきゃ嫌だと言ったため、
秀吉側の玉将を王将にした
 
玉将以外にも宝物を意味した駒がある
金将、銀将はもちろん、桂馬は肉桂(シナモン)、
香車はお香に由来しており、どれも平安時代には貴重なもとされていた

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1947年、愛知県名古屋市で生まれる
父親は健常者でありながら傷痍軍人を装い、
物乞いをしては博打に明け暮れる不定職者
母親は自宅で客をとる娼婦
父親から「男なら博打の一つも憶えておけ」と言われ、小学生で賭けを始める
中学生で将棋に出会い、熱中する
やがて小池はめきめきと将棋の腕を上げ、
のめり込んだ小池は、高校を中退、地元では敵なし
将棋で生計を立てるため、21歳で上京
上野の将棋センターで住み込み従業員として働きながら、将棋の腕を磨いた
連戦連勝で、プロ棋士にまで勝利、プロ棋士になる夢が近づく
しかしキャバレーのホステスに貢ぐお金が足りないので
将棋センターの売り上げに手を付け、将棋センターを出禁となった
小池は、新宿の将棋道場に籍を置き、
裏家業の真剣師となり、賭け将棋で生計を立てるように
「新宿の殺し屋」の異名を持つ凄腕の真剣師として恐れられるようになる
賞金目当てにアマチュア将棋の大会に出場し、見事優勝
真剣師から一転、アマチュア将棋の世界に身を投じた小池は、
1980年から2年連続でアマ名人のタイトルを獲得
角落ちだが、雑誌の企画で大山康晴 十五世名人との対局で圧倒的勝利
ただ小池は対局の前日、酔っぱらって暴行事件を起こし、
対局の場所に留置場から来ていた
この暴行事件を皮切りに、これまでの悪事がバレ、プロへの道は閉ざされた
 
その後、職を転々とし、吐血し、運び込まれた病院で、
繋がっていたチューブを引きちぎり、亡くなった
 
この小池重明に勝ったのが、加藤一二三 九段
加藤一二三を降した藤井聡太は、小池の棋譜を研究していたという

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●プロの将棋の対局中には、おやつの時間がある
 
将棋の対局中には、15時におやつの時間が
スケジュールとして組み込まれている
おやつの時間は、休憩時間ではなく、対局中に食べる
おやつの種類は、棋士たちがリクエストする
例えば、羽生善治はマドレーヌに紅茶
森内俊之 九段は、毎回 山盛りのフルーツ盛り合わせ
糸谷哲郎 八段は、ケーキ、フルーツ、レモンティー
 
プロの棋士による対局は、非常に時間がかかる
脳のエネルギーとなる糖分を補うため、
長時間に及ぶタイトル戦では、
棋士のリクエストに応えた おやつを15時に出すルールがある

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●将棋盤の裏の凹みを、血だまりと言う
その昔、対局に口を出した第三者の首を切って
ひっくり返した将棋盤を台にし、
首を置いて血を溜めたという伝説がある
 
●将棋盤の足は、くちなしの実に似ている
勝負に口を出すな、という意味が込められている
 
将棋の起源は、古代インドのチャトランガ
チャトランガが伝わった西洋にはチェス、
中国にはシャンチー、朝鮮半島にはチャンギが根付いた
日本に伝わった将棋は、相手側から取った駒を自分側の駒として盤上に打って再利用できるルールに変わり、独自のルールに基づく持ち駒が生まれた

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将棋には天皇が消滅させた幻の駒がある
 
その駒とは、酔象
成ると太子という駒になる
 
今の将棋は、王将を取れば勝ちになる
昔のルールでは、王将と酔象の
両方を取らないと勝ちとならなかった
 
1つの軍に2つの将がいるのはおかしい、
と当時の後奈良天皇(1496年~1557年)が酔象を消滅させた
 
王将は全ての方向に1つずつ進めるが、
酔象は真後ろだけいけない

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