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横須賀が軍港として発展した裏には、ロスチャイルド家の存在がある

江戸幕府がアメリカ、イギリス、フランス、ロシア、オランダの5か国と通商条約を結んだ安政5か国条約

その中で造船技術を提供したのが、フランスだった

ロスチャイルド家は、フランスの銀行を通じて江戸幕府に資金を提供してきた

そして造られたのが、横須賀製鉄所

その横須賀製鉄所に派遣されたのが、技術者ヴェルニー

日本初の石造りのドッグが建造され、横須賀は軍港として発展していく

 

日露戦争で活躍した戦艦三笠は、元々イギリスのヴィッカース社が造った船

ヴィッカース社は、ロスチャイルドの傘下企業

日露戦争勝利の裏側にもロスチャイルド家は大きく関わっている

当時、ロシアの反ユダヤ主義が強まったことにより

ロスチャイルドは打倒ロシアのため多額の日本国債を購入

資金を得た日本は軍事力の大幅な増強に成功し、

圧倒的ふり見られた日本海海戦でバルチック艦隊に勝利した

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銀座にある明治28年創業の洋食 煉瓦亭

小説家 池波正太郎など多くの文豪が足しげく通った名店

看板メニューが「元祖ポークカツレツ」

日本で初めて提供されたトンカツ

●トンカツの付け合わせが、キャベツの千切りになったワケ

煉瓦亭4代目 木田浩一郎によると

それは人手不足を解消するため

最初に提供したトンカツの付け合わせは、

ブイヨンスープで煮込んだぶつ切りのキャベツだった

 

明治37年、日露戦争が開戦

店の男性従業員が徴兵され、人手不足になり、

茹でるのをやめて、ぶつ切りの生キャベツを提供

客から、美味しくないとクレーム

そこで茹でるよりも手間がかからない千切りで提供したところ、

ソースによく馴染み、トンカツにも合うと好評を得た

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●上野公園の不忍池は昔、競馬場だった
馬が走るコースが、現在の池の周りの道
明治17年、第1回のレースが開催された
出場者は、武者姿
ギャンブルではなく市民の娯楽として人気を博した
コース沿いには、馬見所という観客席が設けられていた
上野公園は、最新西洋文化を
お披露目するイベント会場としての顔を持っていた
明治40年には、万博も開かれ、
ウォータースライダーが設置されたこともあった
 
●浅草の雷門は昔、凱旋門だった
かつてナポレオンがロシアとの戦いに勝利した時、パリに建てた凱旋門
それに習い、1905年、日露戦争の勝利を記念して浅草に凱旋門を建てた
当時 戦争に強い国を目指していた日本は、
浅草だけでなく日本中に凱旋門を建設した

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●イクラは、ロシオ語で「魚卵」を意味する
 
鮭の卵巣は、筋子
筋子をほぐしたものを「イクラ」と言うが、
イクラは、実はロシア語
 
1905年(明治38年)、日露戦争でロシアに勝利した日本は、
当時、ロシア領だったカムチャッカ半島で
漁を始めることになった
そこで多く獲れたのが鮭
当時、日本では鮭の卵を「筋子」と呼んでいたが、
鮭の卵を食べていたロシア人は、
鮭の卵を魚の卵を意味する「イクラ」と呼んでいた
そんな中、日本の企業がカムチャッカ半島に
工場を造り、鮭の卵を缶詰の製造を始めた
筋子の状態では缶詰に入らないので、
ほぐして缶詰に詰めることに
現地のロシア人が、鮭の卵を「イクラ」と呼んでいたので、
イクラの缶詰という商品名にし、日本各地に広まった

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