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箱根大涌谷の上空を渡る箱根ロープウェイ
●箱根ロープウェイは、小田急と西武の箱根山戦争をきっかけに誕生
それは箱根を巡る小田急と西武の争い
箱根が観光地化したのは、1950年代
当時 小田急は箱根湯本周辺、
一方 西武は芦ノ湖周辺に縄張りを持っていた
西武が芦ノ湖と早雲山をつなぐ専用道路を造り、バス路線を開設
西武の道路に小田急の路線バスを通さなかった
この小田急と西武の争いは、箱根山戦争と呼ばれ、訴訟問題になった
バス路線を巡る争いは10年以上も続いた
この長き戦いに決着をつけたのが、箱根ロープウェイ
小田急は1960年、西武専用の路線バスの真上に
ロープウェイを通過させた
小田急はロープウェイを造って芦ノ湖までの道を確保した
箱根登山鉄道、箱根登山ケーブルカー、箱根観光船、
箱根登山バスと箱根を1周できるルートを完成させた

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富士屋ホテルの建築様式は独特
屋根は神社や白などに用いられた千鳥破風や
唐破風など日本ならではの造りが施されている
館内の至るところに和の彫刻
入り口には日本最古の回転扉
内観はモダンな雰囲気が漂う外国のような空間
当時、数カ月かけて来る外国人のために
荷物の量に合わせてクローゼットは広く設計され、
身長の高い外国人に合わせて、
平均より10㎝高くドアノブが設置されている
 
●箱根 富士屋ホテルは、20年間 日本人が宿泊禁止だった
 
明治26年~大正元年までの20年間、
富士屋ホテルの創業者:山口仙之助が
外国人のみの受け入れを行ってきた
明治の開国以後、日本の金が大量に海外に流出した
何とか外貨を獲得したいと、
外国人の金をとるを以って目的とする富士屋ホテルを開業
慶応義塾大学で学び、福沢諭吉から
実業家になることを勧められた人物
山口は、箱根の旅館のライバルである奈良屋旅館と話し合いした
「富士屋ホテルは外国人専用にしたい、日本人は全て奈良屋旅館に回します。この条件を受け入れてくれるなら、毎年 報酬を支払いますよ」と

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