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織田信長に残忍なイメージがついたのは、
誇張された後世の軍記物語や編纂物による影響が強い
信長について書かれた史料は、2種類
1つは、400年前、信長の家臣が実際に見聞きして書いた資料「信長公記」
もう1つは、信長が死んだ後、
江戸時代の儒学者が信長公記をもとに書いた資料「信長記」
信長記は、大幅な脚色がされ、小説のような読み物になっている
現在の残忍なイメージの信長像は、信長記によって伝わっている
 
●織田信長は、実は優しかった
信長公記には現在の信長のイメージと違う姿が描かれている
 
ある日、信長一行が京都へ向かう道中、道端で汚らしい格好の男を見つけた
先祖が犯し祟りで体が動かくなったことを村人から聞くと、
次の日、村人たちに反物を与え、
男に小屋を造り、米と麦を与えるように世話を頼んだ
 
桶狭間の戦いの前哨戦に勝利したときのこと、
戦いによって家臣の多くが討ち死にした
それを知った信長は、勝利を喜ぶより、泣き崩れたという
 
ついに桶狭間の戦いで総大将の今川義元を破った信長
家臣から義元の首を献上された
捕らえた敵兵に首を持って駿河に戻し、
敵将と兵たちを弔うため供養塚を作らせた
 
この真実が書かれた信長公記は、
身分が高い人しか持っていなかったため、伝わりにくかった
より誇張されて書かれた読み物としての信長記は、瞬く間に庶民に広まった
 
●長篠の戦いの三段構えも、出展は小説のような信長記から

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●織田信長は「占いに根拠なし」を証明しようとした
 
古文書「朝野雑載」に信長が出した御触れが書かれている
“信長と同年同月同日同時に生まれしものを尋ね出し給う”
自分と同じ年月日、時間に生まれた男を探し出せ
 
当時の占いは、生年月日が同じであれば同じような運命を辿るが基本
 
その男が、どういう人生を辿ったのか?と
自分の人生を比較すれば占いに根拠がないことを証明できると考えた
 
そして1人の男が見つかる、その男は、極貧だった
生年月日による占いは、根拠がないと確信した
その極貧男は、「上様と私に差はありません。天下人でも貧しくとも明日のことが分からないのは みな同じなのです」と話したという

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