音楽家」タグアーカイブ

●ベートーヴェンはナポレオンのスパイだった
それまでの音楽家は、教会か宮廷の業者でしかなかった
ナポレオンを尊敬していたベートーヴェンは、
宮廷に入るための礼装であるカツラを外し、
自分は民衆のために音楽を作ると音楽家が
アーティストとして確立する革命を起こした
 
1770年、ドイツのボンに生まれる
21歳でオーストリアのウィーンへ
このウィーンに住んでいた頃に、
ベートーヴェンが不審な行動をとっていた証拠が出てきた
・40回にも及ぶ謎の引っ越し
・謎のラブレター
研究者の間では、2つの不可解な点が指摘されている
宛名がなく誰に出そうとしたのか不明
エステルハージという貴族の名前が書かれた一文
当時、ヨーロッパはフランス革命の直後、
市民の革命運動を抑えるため手紙は全て検閲対象だった
ラブレターの中に隠しメッセージを入れることは、
密かに情報を伝えるための有効な方法であった
エステルハージとは、
ナポレオンと激しく対立していた有力な貴族だった
ベートーヴェンは、ナポレオン側の
スパイとして活動していたと考えられている
しかしナポレオンが皇帝になった後、
ベートーヴェンは献呈することを取り消した
 
●民謡を編曲しまくってお金を稼いでいた
レコードもCDもないこの時代、
音楽家たちの収入を支えていたのは、作曲した楽譜の売上
オーケストラ曲は、苦労の割に需要が少ないため金にならない
一方、民謡は、庶民に人気があり、その楽譜が売れる
さらに一から作るより、編曲の方が容易い
稼ぎの良いアルバイトとして民謡を編曲しまくっていた
そしてベートーヴェンは生涯に170曲以上の民謡を編曲した

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旧姓:クララ・ヴィーク、夫は、大作曲家のシューマン
ヨーロッパ中で大人気だったピアニスト
同じ時代に生きていた数々の音楽家、作曲家を虜にした
 
1819年にピアノ教師フリードリヒ・ヴィークの次女として生まれた
9歳で演奏会デビューし、11歳で後に巨匠となるショパンが演奏を依頼
12歳の時には、ゲーテの前でピアノを演奏
18歳でウィーンの皇帝の前で演奏
当時の大作曲家たちは、こぞってクララに作品を捧げるように
その中には、メンデルスゾーンの「春の歌」、
リストの「ラ・カンパネラ」など名曲ばかり
ブラームスもクララに作曲の相談をするように
モテモテのクララは、その中から夫としてシューマンを選んだ
結婚すると生涯、その愛をシューマンに注いだ
シューマンが44歳のときに精神の病に倒れると
ヨーロッパ中で演奏会を開き、家計を支えた
しかしクララが36歳のときにシューマンが死去
その後、クララは喪服を着続けた

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