江戸城無血開城を成し遂げた勝海舟のその後

欧米の侵略に対抗するため1855年、長崎海軍伝習所を創設
軍艦 咸臨丸の艦長として太平洋を横断
1868年3月14日、江戸城無血開城
西郷隆盛と会談し、新政府軍は江戸への攻撃を中止
総攻撃が始まる直前、江戸150万人の命が守られた
1868年、薩摩藩、長州藩が中心となった明治新政府が誕生
勝海舟も旧幕府の代表格として海軍卿などの要職を歴任するも、すぐに辞任
 
●静岡をお茶の大国にするきっかけを作った
徳川家最後の将軍 慶喜と共に静岡県の駿府に移住
100年以上もの間、放置された幕府が
所有していた広大な土地でお茶の栽培を始める
その静岡の牧之原台地は、水はけがよい弱酸性の土質で
温暖な気候が茶の栽培に適していた
以前から勝は農業の知識を商人から学んでおり、
この土地がお茶栽培に適していると見抜いた
このころ江戸幕府が無くなったことで
徳川家に尽くしてきた多くの家臣たちが職を失っていた
そこで勝は、そんな彼らを静岡に呼び寄せ、
仕事を与えることで安定した生活を保証しようとした
 
●新潟で日本最古のワイン醸造所を創設
当時から米作が行われていた新潟では、
度重なる豪雪や洪水などでまともに収穫できない時が多かった
北方村の大地主:川上善兵衛は、そんな厳しい状況を勝に相談した
勝は、痩せた土地でも栽培できる葡萄でワインを作ることを勧めた
勝の助言をもとに善兵衛が新潟に開いたのが、岩の原葡萄園
そこには現存する日本最古のワイン醸造所の石倉が残っている

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