みたらし団子が、1串4個になったワケ

●みたらし団子は、鎌倉時代に京都で誕生した
京都の下鴨神社にある御手洗池は、
古来より池の水で手や足を洗うと無病息災のご利益がある神聖な池とされる
御手洗池の地下からは水が湧いており、たまに泡が湧き出てくる
それを見ることができるととても縁起が良いとされていた
鎌倉時代、醍醐天皇が御手洗池で手を清めていると、泡が湧き出てきた
一つ見るだけで縁起が良いとされる泡が、さらに4つ続けざまに湧き出、
合わせて5つの泡が出てきた
古来より下鴨神社は神へのお供え物として団子を奉納していた
元々は、串に刺していない一つ一つの状態だったが、
この縁起が良い出来事にあやかりたいと
5個を串に刺した状態でお供えするようになった
その後、5個刺しの団子を境内の茶店で売るようになった
 
江戸時代、京都で誕生したみたらし団子は、
江戸にも伝わり、庶民に大人気になっていた
その値段は、1串5個で5文、みな一文銭 5枚を出して買っていた
1768年、四文銭が登場
一文銭4枚分の四文銭は、持ち運びに便利だと瞬く間に広がり、
多くの食べ物屋が四文銭1枚で支払えるように
商品を4文で売り出すようになった
みたらし団子も4文で売るようにと要望が続出
1串5個の団子を5文で売っていたみたらし団子を、
損をしないように4個4文で売るようになり、それが定着した
 
●花見団子を作ったのは、豊臣秀吉
1598年、天下を取った秀吉は、
京都の醍醐寺で1300人を招待する大規模な花見を計画
その花見の目玉として考えたのが、誰も見たことがない団子
当時、団子と言えば5個刺しのみたらし団子が主流
秀吉が考えたのは、日本の四季を表現した色鮮やかな三色団子
上から、桜をイメージした春、雪の降る冬、葉が生い茂る夏を表している
秋を抜いたのには、2つの理由があった
食べ飽きない、商いが繁盛するようにと願いを込めて、秋無い
秀吉が作った花見団子は、人気となり日本全国に広まった

(322)

スポンサード リンク

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

*

スポンサード リンク