新鮮組副長:土方歳三のプレイボーイ伝説

1863年、京都 新鮮組詰所
隊をまとめ上げるため、土方は局中法度を作った
掟を背いた者は、切腹
切腹したのは、39人に及ぶ
京都における新選組の死因は、
戦場での死亡よりも規律違反による処刑の方が圧倒的に多かった
 
隊士から鬼と恐れられた土方だが、とんでもない女たらしだった
関係を結んだ女性は数知れず
新鮮組のある京都だけでなく、
全国至る場所の女性と関係を結んでいた
さらにタチが悪い事に、
女性たちと遊ぶ金を遊女に負担させていたという
 
新鮮組の活動資金を援助していた小島鹿之助の下に土方から荷物が届いた
各地の女性から土方に届いた大量のラブレターを見せて、自分がモテることを証明した
この1年前に、土方から手紙が届いた
“嶋原では花君大夫、天神、一元。祇園では芸子が三人程います。北野では舞妓の君菊、小楽。大阪新町では若鶴太夫の他に二、三人もおります。北新地では沢山いて筆では書き尽くせません”
モテっぷりを証明したいために、その1年後にラブレターをまとめて送った
 
また現在の足立区加平の綾瀬川で釣りをしていただけで村中の女性が集まったという

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