姪を愛した島村藤村

1910年、38歳の島崎藤村は、妻:冬子と子供と幸せに暮らしていた
島崎藤村が、いよいよ小説家として軌道に乗り始めていた頃、
四女の出産で母体の損傷が激しく冬子は亡くなった
冬子が亡くなってから藤村は、家事や育児に追われる日々
執筆作業も滞り、収入も激減した
 
困り果てた藤村は、実の兄:広助に助けを求めた
兄から紹介されたのは、兄の娘で藤村の姪でもある19歳のこま子
こま子は しばらくの間、島崎家に同居し、家事を手伝うことになった
ある夜、藤村は、姪のこま子と一線を越えた
愛人が認められたいた時代だったが、
さすがに親族に手を出すのはタブー
しかもこま子は、藤村の子を身ごもってしまう
困り果てた藤村は、フランス留学と称し、
身重のこま子と子供を置いて一人で逃亡した
残されたこま子は、産んだ子供をすぐに養子に出した
 
1916年、密かに帰国した藤村が会いに行ったのは、こま子
そして藤村は、こま子との禁断の愛を小説「新生」にして出版
こま子は、日本に居られなくなり知り合いがいる台湾に渡った
 
芥川龍之介は、この藤村の行為を大いに非難した

(1863)

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