東京 五反田にある桜の名所 かむろ坂 名の由来

東京 五反田にある かむろ坂
品川百景にも選ばれた桜の名所となっている
 
江戸時代初期、元鳥取藩士の浪人:平井権八は、
吉原の三浦屋の遊女:小紫と昵懇の仲となる
小紫は、美貌と教養を兼ね備えた太夫という最高位の遊女
遊女の見習いである少女:かむろが小紫の世話をしていた
身寄りのない小紫とかむろは、まるで親子のような関係だった
やがて困窮した権八は、小紫に会いたいがために、
見ず知らずの人を切り殺し、金品を奪うように
命を奪った人数は、130人に及ぶ
逮捕された権八は、1679年12月5日、品川 鈴ヶ森刑場で刑死した
刑死の報を受けた小紫は、
目黒不動瀧泉寺付近にあったとされる東昌寺の墓前で自ら命を絶った
この「後追い心中」は、
江戸で初めて起きた男女の心中事件と言われている
 
親同然の小紫を探しに行ったかむろは、小紫の死を目撃する
その帰り、ならず者に遭遇
男から必死に逃げたが、池に身を投じ、自ら命を落とした
そんなかむろを忍び、村人たちは、
池の近くにあった坂道を「かむろ坂」と名付けた

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