映画「ローマの休日」の脚本家は別人だった

1953年に公開された映画「ローマの休日」
脚本は、クレジットに書かれているイアン・マクラレン・ハンター
彼は第26回 アカデミー賞原案賞を受賞した
しかし、実は「ローマの休日」を書いたのは、
天才脚本家:ダルトン・トランボであると判明した
映画界に追放され、ハリウッドに最も嫌われた男と言われた人物
 
時代は1940年代後半、ハリウッド黄金期
トランボは、ハリウッドでも一、二を争う売れっ子脚本家だった
そんな中、資本主義のアメリカと共産主義のソ連の関係が悪化する
争いは、アメリカ国内へと広がっていった
1947年、合衆国議会はハリウッドに対し、赤狩りを開始
共存党員や共産主義と関わった人を見つけ社会から追放する運動
トランボは、過激な思想こそ持っていなかったが、共産党員だった
自分は何も悪いことはしていない、
トランボは理不尽な弾圧に抵抗した
アメリカ映画界は、トランボをハリウッドから追放してしまう
さらに議会侮辱罪で有罪となり10ヶ月の禁固刑が科せられた
刑務所に入るまでの間、働くこともできず、
お金に困ったトランボは、書き上げた最新作を持って友人の元へ
「私の脚本を君の名前でスタジオに持ち込んでくれ」
 
この友人に託した脚本が、
後にアカデミー賞を受賞する「ローマの休日」だった
そして受け取った友人が、
オスカーを獲ったイワン・マクレラン・ハンターだった

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