東京の日暮里が繊維街となったワケ

東京の日暮里には、生地などを取り扱う店が約88店舗も集まっている
日本最大の繊維街
その種類の豊富さが世界から注目されている
店の店主、もしくはその先代は、富山県の出身が多い
 
●東京の日暮里が繊維街となったワケ
 
アトリエ・ヨネザワの店主:米澤啓介さんの祖父:茂作さんは、
富山県で繊維を扱う商社に勤めていた
そんな茂作さんが日暮里の生地問屋で目を付けたのが、
生地を裁断した際に出るハギレ
切れ端だが、これは売り物になると
ただ同然のハギレを大量に買い集め、日暮里で売り始めた
洋服が高かった当時は、生地を買って自分で作る方が安かった
安いハギレを買いに地方から客が殺到し、店は大繁盛
しかし次第に手が回らなくなり、
富山県から親戚や知り合いを何百人と呼んで店を増やした
 
こうして日暮里は繊維街となった

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