家康と秀吉の起点の地となった浜松元城町東照宮

浜松駅から徒歩20分の所にある浜松元城町東照宮(静岡県浜松市中区元城町111-2)
社務所もない宮司も常駐しない無人の神社だが、出世のパワースポットとして有名

元城町東照宮 (2)

鳥居の東照宮を書いたのは、徳川宗家18代の子、徳川家広
元城町東照宮手水舎
手水舎には、眠り猫、その天井には翼がある龍が装飾
社殿の左奥にあるご神木は、珍しいユーカリ
 
浜松元城町東照宮の50m四方には、曳馬城あった
 
●徳川家康の起点となった地
1570年、遠江地方を攻略する拠点として曳馬城に入城した徳川家康
城の名前、曳馬が「引く馬」に通じるということで名前を「浜松城」に変更
浜松城は、曳馬城を城郭に含まれるように普請された
1573年、武田軍が侵攻してきた三方ヶ原の戦いで大敗した家康は、
浜松城に逃げ帰り、空城の計を図り、警戒心を煽り事なきを得た
ここは後の天下人の起点の地
 
●豊臣秀吉が最初に武家となった地
豊臣秀吉の無名時代が記された古文書 太閤素生記
太閤素生記とは、武田信虎の旧臣土屋昌遠の孫であり、徳川秀忠の馬廻りの武士:土屋知貞が、その父や養母(秀吉の出身地である尾張国中々村の代官・稲熊助右衛門の娘)、飯尾豊前守の娘である祖母キサから伝え聞いた話をまとめた書物である
太閤素生記によると、織田信長に仕える前、16歳の秀吉は、曳馬城本丸で栗を食べる猿を真似て、今川氏の家臣、松下之綱に可愛がられ、武家奉公できるようになった
2人の天下人が人生のどん底から這い上がるきっかけが、同じ場所だった
 
●本田宗一郎
本田技研工業の前身となる旧本田技術研究所は、1946年に曳馬城跡の北 山下町(徒歩3分)に設立された
本多技研
翌1947年に発売した自転車用補助動力エンジン「ホンダA型」がヒットし、後のホンダの基礎となった
 
その地からほど近い神社である浜松元城町東照宮には、間違いなく参拝していたであろう

(208)

スポンサード リンク

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

*

スポンサード リンク