玉の輿の語源となった桂昌院の人生

●玉の輿の語源となった桂昌院の人生
桂昌院の名前が「お玉さん」だったという説があり、
そのお玉さんが輿に乗って江戸に向かったことから
玉の輿の語源となったと言われている
 
桂昌院は、京都の八百屋の娘として生まれた
下級武士だった本庄家から養女の誘いを受ける
元々は、父親が本庄家に野菜を納めていたことがきっかけだった
 
本庄家の養女となった桂昌院は、
公家出身の尼僧:お万の方の侍女として仕えることに
その後、尼僧は将軍の徳川家光に御目通りを願って挨拶をした
すると家光が一目惚れ、尼僧は側室になった
侍女だった桂昌院も身の回りの世話をするため
一緒に大奥に入ることに
 
すると桂昌院も家光に気に入られ、側室に
7年後、綱吉を産み、5代将軍となった

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