西郷隆盛は、本名ではない

明治維新後、位が上がった薩長の武士は政府に正式な名前を登録することに
その際、西郷本人に確認せずに同じ薩摩出身の友人 吉井友実が、
西郷の父の名前である隆盛を登録してしまった
その後、西郷は「隆盛でもよかよか」と受け入れてしまったという
 
●西郷隆盛は、本名ではない
明治4年、東京で出会った西郷と庄内藩出身の菅実英
実英の優秀さに惚れ込んだ西郷
2人はすぐに意気投合
実英が山形に変えることを知った西郷は、実英の宿所に出向いた
しかし実英は留守
西郷は「ご帰宅ならばこれを」と手紙を託した
“明日は君がたって 遠いところへ 離れてしまうかと思うと胸が痛む”
その最後に書かれた名前が、西郷隆永
西郷の本名は、隆永
 
1877年の西南戦争で西郷は罪人扱いとなった
明治政府は西郷のことを公に語ることを禁止していた
1889年、西郷の死後12年が過ぎ、西郷の名誉が回復
菅実英が中心なり西郷の教えを本にまとめ出版した
 
西郷の本名が書かれた手紙は、山形にある菅家に保管されている

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