ファッション」カテゴリーアーカイブ

学ランの学は、学生を意味するが、

●学ランのランは、オランダのラン

元々学ランは西洋の軍服をベースにしている

 

明治19年、東京大学の前身 帝国大学で初めて学ランが導入された

イギリスの軍服をベースにしているのだが、

西洋から入っていた服を蘭服と呼んでいた

西洋と言えば、鎖国時代に国交のあったオランダのイメージが残っていた

学生が着る蘭服が、いつしか略されて学ランとなった

 

●好きな人から第二ボタンをもらうようになったワケ

戦争に行く学生が自分の形見に心臓に近い第二ボタンを渡したのが由来と言われている

(319)

スポンサード リンク

●トレンチコートの背面にD型のリングがついているワケ

それは手りゅう弾をぶら下げるために付けられたもの

トレンチコートのトレンチとは、塹壕という意味

塹壕とは、戦争の銃撃戦を避けるための横穴

その際に着ていたのがトレンチコート

第一次世界大戦に誕生したトレンチコートには、

戦闘のために必要な機能が備わっている

D型のリングには、手りゅう弾のほかに水筒や銃弾ケースなどすぐに使うものをぶら下げた

 

右胸に取り付けられたガンパッチは、

銃を胸に当てて撃つ際に衝撃を吸収する役割があった

肩には階級章をつけるための名残りが、デザインとして今も残っている

(261)

●ニット帽にポンポンがついているワケ

ニット帽のポンポンは、頭を守るためのもの

17世頃のヨーロッパの船乗りが被っていた帽子が元になっている

当時の帽子は平たく、その上にポンポンがついていた

狭い船の上で頭をぶつけないようにポンポンがセンサーの役割を果たしていた

頭を守るポンポンつきニット帽は、船乗りの間で大流行

現在のフランス海軍の帽子にも受け継がれている

 

日本では、ポンポンつきニット帽は、

正チャン帽という名前で大流行した

大正時代の漫画「正チャンの冒険」の

主人公 正チャンがポンポン月の帽子を被っていたため

子供たちから正チャン帽と呼ばれ、一気に大流行した

(792)

スウェットの定番と言えば、グレー
●スウェットにグレーが多いワケ
 
元々衣類は、ウールのような動物の毛が使われていたため
自然由来のナチュラルな色が、グレー
時代が進むにつれ、
安くて大量に生産できるコットンが使われるように
 
その際、より高級品であるウールの色グレーに
近づけたコットンの服が作られるようになった
それが現代のスウェットに繋がっている

(288)

下駄は、二本歯と一本歯の2種類ある
先に誕生したのは、二本歯の下駄
平安時代、二本歯の下駄の原型が誕生した
荒れた路面でも着物の裾が汚れないために、この形となった
 
●一本歯の下駄は、山道を歩くために作られた
 
一本歯の下駄は、山伏や修験者が愛用していた
山の斜面を歩く際、下駄の先端と一本歯で体を支え、
不必要な後ろの歯を無くすことで
二本歯よりも岩や木の根に引っかかりづらく歩きやすい

(319)

●毛玉ができやすいセーターとできにくいセーターの違い
その違いは、素材
そもそも毛玉は、服が擦れて摩擦によって毛が絡まることで発生する
アクリルやナイロンのような化学繊維は毛玉ができやすく、
ウールやカシミヤなどの天然繊維は毛玉ができにくい
 
実は、天然繊維も同じように毛玉ができているが、
化学繊維に比べて、切れやすいため、
少しの摩擦で毛玉が取れてしまいセーターに毛玉が残りづらいだけ
 
毛玉できる最大の理由は、摩擦によって起きる静電気
静電気防止スプレーをかけることで毛玉を防止できる

(248)

ブルーが当たり前のジーンズだが
●ジーンズは、元々ベージュ(生成色)だった
 
1848年~1855年のカリフォルニア ゴールドラッシュの
鉱山労働者の作業着として作られた
当時、ジーンズの生地には幌馬車の幌の生地が使われていた
生地は丈夫だったが、汚れが目立つ
そこで濃い藍色に染め上げ、汚れを目立たなくした
以来、ジーンズは青くなった
 
さらに当時、鉱山はガラガラヘビの生息地だった
天然の藍色には蛇が嫌うピレスロイドが含まれていて、
そのためジーンズは蛇除けにもなると重宝された

(168)

着物を扱っている呉服屋だが、着物と呉服は、全くの別物
着物とは、足首まで裾があり、最後に帯を締める衣類のこと
呉服とは、衣類を指す言葉ではない
●呉服とは、衣類ではなく絹の生地のこと
弥生時代、衣類に使う素材は、麻か綿しかなかった
弥生時代中期になると中国、当時の呉から絹の生地が伝わった
当時の日本人は、キメが細かく肌触りの良い絹の生地に驚いた
絹の生地は、身分の高い人たちだけしか
手に入らない高級生地として扱われるように
当時、生地のことを服と書いて「はとり」と呼んでいた
なので呉から来た絹の生地のことを、呉から来た絹の服(はとり)
略して呉服と呼ぶようになった
呉服とは、完成した衣類ではなく絹の生地のこと
 
●呉服と着物が同じ意味で使われるようになったワケ
江戸時代に誕生した呉服屋では、着物は売っておらず、
絹の生地である呉服だけを販売していた
当時、身分の高い人も低い人も着物は生地を買って持ち帰り、
自分たちで作っていたのだが、呉服屋が着物の仕立て職人を雇い、
生地からオーダーメイドで着物を作るサービスを始めた
当時も呉服はとても高価なもので庶民は、
呉服屋に出入りすることができず、呉服を見たことがない人が大半
さらに絹の着物を着て呉服屋から出てくる姿を見て、
呉服は完成した絹の着物だと勘違いしてしまった
この勘違いによって、呉服とは完成した着物と広まった

(194)

●カットソーとは?を答えられますか?
カットソーとは、一本の糸で編んだ生地を
カット(裁断)し、ソー(縫う)した全ての衣服のこと
そのためスウェットパンツも、タンクトップも、
ポロシャツも、パーカーも、カットソー
縦横の糸で構成する織物生地で作られるシャツ、
デニム、スーツなどは、カットソーではない
 
●ほとんどの人が理解していないのにファッション業界では、何故カットソーを使用するのか?
Tシャツと言うよりもカットソーと言った方がオシャレに聞こえるから

(205)

男性は襟から引っ張ってTシャツを脱ぐ人が多く、
女性は腕をクロスして下からTシャツをめくる人が多い
 
●Tシャツの脱ぎ方は、男女で異なるワケ
 
その理由は、Tシャツの構造が異なるから
女性用のTシャツは体のラインを美しく見せるために
フィットした作りとなっており可動範囲が狭い
そのため肩が上げづらいので男性のように襟から引っ張ると脱ぎづらい
男性用は動きやすさ重視で作られているため
袖や襟がゆったりしたTシャツが多いので襟から引っ張って脱ぐ人が多い

(595)

スポンサード リンク