Category Archives: 伝統/慣習

日本では亡くなった人の頭を北に向けて寝かせるのが一般的
●北枕は不吉の迷信は、勘違い
 
遺体を北枕で寝かせる、北枕=死を連想すると日本人は北枕を忌み嫌ってきた
 
しかし、そもそも北枕は、仏教では縁起が良いモノ
2500年前、お釈迦様は北向きに寝かせてくれと弟子に伝え、息を引き取った
仏教発祥の地 インドでは、北の方角には神々が宿る理想の国があると信じられ、
北向きで寝るのが良いとされている
そのためわざとベッドを北向きにしているホテルもある
全国にある涅槃仏もほとんどがこの話をなぞらえ頭は北向き
 
故人を北枕で寝かせるのは、お釈迦様と同じ方角を向き成仏してもらうため
しかし日本人は、本来の意味を忘れ、
死者=北枕、北枕=不吉というイメージが定着した
忌引きなど喪に服す習慣のある日本人は、死の汚れを伝染するものと考えている

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●夜に爪を切ると親の死に目に会えない、の迷信が生まれたワケ
 
この迷信が生まれたのは、
昔は、現代のように照明がたくさん無く夜は暗かった
夜に爪を切るのは、命にかかわりかねない危険なことだった
 
現代の爪切りの形は、大正時代に外国から入ってきた
江戸時代は和ばさみ、その前は小柄という小型ナイフを使っていた
 
親の死に目に会えないとは、親の死に際に立ち会えないという事ではなく
自分が先に死んでしまうので、親の死を看取ることができないということ
医療が今の時代ほど発達していなかった時代、
切り傷は感染病にかかり亡くなる可能性があった
 
戦後まで猛威を振るった破傷風は、致死率80%以上
親より先に死んでしまうという警鐘の意味を込めた迷信

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●こどもの日は、母に感謝する日
国民の祝日に関する法律 第二条によると
こどもの人格を重んじ、こどもの幸福をはかるとともに、
母に感謝する、と記されている
 
ちなみに5月第2日曜の母の日は、アメリカから入ってきた風習
 
●端午の節句とは?
昔の日本は、日付を干支で表していた
節句とは、季節の節目となる日
なので端午の節句とは、最初の午の季節の節目の日
奈良時代から続いている風習で、江戸時代は祝日をなっていた
5月5日は、季節の節目を祝う日なので今でも こどもの日を端午の節句とも言う
3月3日の雛祭りや7月7日の七夕も節句の一つ
 
●子供の日に鯉をあげるワケ
急流を登りきると龍になるという中国の伝説から鯉は出世の象徴
子供の成長と出世を願って鯉をあげる
 
鯉のぼりの上についている回転球と矢車
回転球は、神様を呼ぶ目印
矢車は、魔除け
鯉のぼりとは、神様に ここに男の子がいますとアピールするためのもの
 
5色の吹き流しは、陰陽五行説で万物を表している
 
江戸時代、武家の家では家紋入りののぼりをあげて子供を祝っていた
しかし町人には、それが許されなかったため、
代わりに鯉のぼりをあげたのが鯉のぼりのはじまり

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客を呼び込むために店の前に盛り塩を置く風習は、
2200年前、秦の始皇帝の逸話が関係している
 
一代で中国大陸を統一した始皇帝は強大な権力を持っていた
始皇帝が住む都 咸陽には、
始皇帝の身の回りのお世話係として3000人もの女性が住んでいた
始皇帝は空いた時間があると女性たちの家を牛車に乗って訪ねていた
女性たちは始皇帝に来てもらうために服を着飾ったり
楽器を弾いたりして必死にアピールしていた
そんな中、なかなか始皇帝に来てもらえない女性が、
牛の大好物の塩を家の前に置いた
牛は塩を舐めるのに夢中になって動かず、始皇帝は目の前の家に訪ねて来た
 
その後、盛り塩を置くことで
これまで来てくれなかった始皇帝が来てくれたという逸話が
中国全土に広まり、それがいつしか店の前に盛り塩を置くことで、
これまで来なかった客が来てくれると言われるようになった
 
奈良時代に日本に伝わり、現在でも客を呼び込みたい店では盛り塩を置いている

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●干支は、全部で60種類ある
干支は、子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥の12種類だけではない
これは昔の中国で暦や時間などに使用していた十二支
もう一つ、十二支を合わせることで細かい日付を表していたのが、十干
十干の「干」と十二支の「支」を合わせて、干支と呼んでいる
実は干支は、60種類ある
 
1868年に起きた戊辰戦争は、十干の戊と十二支の辰の年にあったため、
この名がついた
 
1924年(大正13年)、十干の甲と十二支の子の甲子に完成したのが、甲子園
 
また十干の丙と十二支の午の丙午
丙午生まれの女性は、気性が激しく夫の命を縮めると江戸時代から言われてきた
この迷信は、昭和の時代でも信じられ、
丙午の昭和41年だけが、出生率が25%も激減した
 
60年で干支が一巡し、元も還暦に戻るため、60歳を迎えると還暦となる
還暦になると赤ちゃんに戻るという意味で赤いちゃんちゃんこを着る

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●初夢とは、元旦の夜に見る夢、または正月2日の夜に見る夢
夢の内容から1年の吉凶を占う日本古来の風習
縁起が良いと言われている初夢が、一富士、二鷹、三茄子
 
●一富士、二鷹、三茄子には続きがある
続きは、四扇、五煙草
扇は、ひっくり返すと富士山のような末広がりになる
煙が上昇する煙草は、運気が上がると言われている
 
●お年玉は、そもそもお金ではなく餅だった
お年玉の「年」は、年神様の「年」、
「玉」は「たましい」の「玉」
年神様の魂をいただく御年魂→御年玉と変化していった
そもそもは家長が、家族などに餅玉を分け与えていたのがはじまり
お年玉を頂くことでさらに一年 生きる力をいただける意味がある
江戸時代頃から徐々にお金に変わっていった

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●あけましておめでとうとは、年齢を重ねたことへのお祝いの言葉だった
 
産まれたときを1歳と数える数え年
その後、毎年元旦に年を重ねる
 
戦前は、数え年が一般的だった
そのため、正月に「あけましておめでとう」と
年を重ねたことへのお祝いとして挨拶していた
 
現在、当たり前のように使っている満年齢
産まれたときは0歳で誕生日で1歳を加算する
1949年(昭和24年)に年齢のとなえ方に関する法律が施行され、
数え年ではなく満年齢に統一された
 
今でも七五三詣、厄払祈願、厄除祈願などで数え年が使われている

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12年をひと周期する十二支は、子・丑・寅・卯・辰・
巳・午・未・申・酉・戌・亥の12の漢字からなり、
それぞれ子:ねずみ、丑:うし、寅:とら、卯:うさぎ、
辰:りゅう、巳:へび、午:うま、未:ひつじ、申:さる、
酉:とり、戌:いぬ、亥:いのししの12の動物があてられている
 
十二支は、紀元前1600年ころ、中国 殷の時代に作られた
12の漢字は、動物を表す漢字ではなかった
子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥は、
それぞれ一番目、二番目、三番目…という順番を表す漢字だった
しかし当時の中国では、漢字が分からない人がたくさんおり、
漢字が分からない人でも十二支を覚えられるように
それぞれの漢字に12の動物を当てはめて覚えやすくした
 
●十二支の動物は、文字の形や意味合いから当てはめられた
子は、子どもの「子」とも読める
たくさん子どもを産む身近にいる動物が、ねずみだった
巳は、へびのような形をしているため、へびを当て、
卯は、形がうさぎの耳に似ているから、うさぎを当て、
申は、人間のあばら骨に似ていることから、
人間に一番似ている動物さるとなった
と文字の形や意味合いから12の動物に当てはめた
 
日本には、6~7世頃 飛鳥時代に伝わり、現在も使っている十二支となった
 
亥は、中国では豚が当てはめられている
十二支が伝わった当時、日本には豚がいなかったため、
豚に似ていたイノシシが当てはめられた

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●陶器の底を欠けるようになったワケ
陶器の底が、欠けている部分を切り欠きという
そのルーツは、萩焼にある
江戸時代初期、長州藩の藩主:毛利輝元は、
萩焼を気に入り、全ての萩焼を献上品として作らせた
その結果、萩焼は、庶民の手に渡らなくなった
困り果てた職人は、わざと底に傷をつけて献上品にできなくすることで
庶民の手にも萩焼が手に渡るようになった
 
献上品として萩焼は有名となり、切り欠きのある萩焼が庶民に出回り、
切り欠きがあることが素晴らしい陶器の目印となり、
萩焼以外の職人も切り欠きを真似て、
様々な焼き物に切り欠きをつけるようになった

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山梨県民は、マグロが好きすぎて
ラーメンにマグロ、トンカツにもマグロ、ウナギにもマグロを付ける
スーパーにはマグロ専用の売り場が存在する
結婚式の披露宴では、マグロの解体ショーまで
マグロの消費量は、静岡県に次いで全国2位
 
●海がない山梨県民が、マグロ好きなワケ
江戸時代、山梨の甲州商人は、江戸や横浜に生糸などを売りに出た
その帰り、荷を空で帰ることはなく、
マグロのヅケなどを持ち帰り、食べる習慣が広まった
他の魚より大きいマグロは、比較的 腐りにくく、鮮魚のまま運べる
生の魚を内陸に運んでいた魚尻線という言葉がある
魚尻線とは魚が腐ることなく運べる限界のこと
甲府は、駿河湾から生の魚が運べる終着地だった
 
その名残りか、山梨県の寿司屋では、マグロに煮切り醤油をつけて提供している
煮切り醤油とは、江戸前寿司で使われていた醤油とみりんで作る甘いタレ
マグロの変色を隠すために、煮切り醤油を塗っていたとも言われている
 
ちなみに魚尻線は、日本全国に存在する
江戸→高崎→沼田、直江津→長野、糸魚川→東岩瀬→松本など

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