Category Archives: 名所/史跡

●鳥取砂丘は、ボランティアの力で砂丘をキープしている
 
鳥取砂丘は、草むしりしないと草原と化す
その原因は、防風林
 
防風林を造ったことで風が吹かなくなった
風が吹かなくなり、砂が飛ばなくなった
砂が飛ばなくなると鳥などが種子を運び、
草が生えるようになってしまった
 
そこでボランティアを募り、草を抜いて砂丘をキープしている

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昭和の初め、西浅草には150店もの和菓子店が軒を連ねていた
溶かした砂糖を木型に流し込んで作る金華糖が大ヒット
 
西浅草の和菓子店は、
近くにあった合羽橋の道具店に木型を大量に発注
 
それがきっかけで合羽橋には、
菓子道具や調理器具を扱う専門店が増加し、
現在の道具街に発展した

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湘南は、相模国の南部から相南(そうなん)と呼ばれていた
さらに、
●湘南の由来は、中国の景勝地
 
中国の湖南州にある河:湘江は、
洞庭湖に注ぐ長江右岸の支流
その南側が景勝地として素晴らしく、湘南と呼ばれていた
 
神奈川県の湘南は、中国の湘南にあやかって名付けられた

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●京都には道路しかない町がある
 
それは、京都市桑原町
京都御所と京都地方裁判所の間にある道路の一角
 
元々は、裁判所までが桑原町だったが、
裁判所ができたときに別の地名がついてしまい、道路だけ地名が残った
普通、道路しかなければ地名は、無くなるモノだが、
桑原町は「くわばら くわばら」の由来
 
「くわばら くわばら」とは落雷を避けるための呪文
桑原町には、昔 菅原道真が住んでおり、雷が落ちなかった
雷が落ちなかった恩恵が元となり、雷を避ける呪文とされた
そのため桑原町の地名を無くしてしまうのをためらい、道路しかない町となった

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東京 五反田にある かむろ坂
品川百景にも選ばれた桜の名所となっている
 
江戸時代初期、元鳥取藩士の浪人:平井権八は、
吉原の三浦屋の遊女:小紫と昵懇の仲となる
小紫は、美貌と教養を兼ね備えた太夫という最高位の遊女
遊女の見習いである少女:かむろが小紫の世話をしていた
身寄りのない小紫とかむろは、まるで親子のような関係だった
やがて困窮した権八は、小紫に会いたいがために、
見ず知らずの人を切り殺し、金品を奪うように
命を奪った人数は、130人に及ぶ
逮捕された権八は、1679年12月5日、品川 鈴ヶ森刑場で刑死した
刑死の報を受けた小紫は、
目黒不動瀧泉寺付近にあったとされる東昌寺の墓前で自ら命を絶った
この「後追い心中」は、
江戸で初めて起きた男女の心中事件と言われている
 
親同然の小紫を探しに行ったかむろは、小紫の死を目撃する
その帰り、ならず者に遭遇
男から必死に逃げたが、池に身を投じ、自ら命を落とした
そんなかむろを忍び、村人たちは、
池の近くにあった坂道を「かむろ坂」と名付けた

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1872年、鉄道が開業して新橋駅が造られた
駅前には3匹の子狸が暮らしていた
鉄道員は小屋を造り、可愛がった
しかし狸が大きくなると何処かに巣立っていった
すると残った小屋に仕事帰りの人間が集まり、
そこで酒を飲むようになった
以来、新橋駅前は宴が開かれる場所になった
 
1947年、狸小路という安価な飲み屋街ができて
虎ノ門や銀座のサラリーマンで賑わった

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東京 月島には、もんじゃ焼き屋が80店舗以上も密集している
元々は、駄菓子屋で出されていたが、
戦後になると酒のつまみとして出す店が増え始めた
 
●月島にもんじゃ焼き屋が多いのは、有楽町線 月島駅の開設がきっかけ
 
昭和30年代、4軒だった もんじゃ焼きは、
1988年、有楽町線 月島駅が開設されたことがきっかけで店舗数が激増
それまで交通が不便だった月島に大勢の人がやって来るようになった
地元の人だけに親しまれていたもんじゃ焼きが注目されるように
もんじゃ焼き屋に行列ができるようになると転業する店が増えた

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●湯布院と由布院
 
「ゆふいん」という地名がつけられたのは、奈良時代
古くから楮と呼ばれる木がたくさんあり、
その皮から採れる「ゆふ」と呼ばれる繊維を使って布などを作っていた
米などを保管する院と呼ばれる蔵がいくつもあったことから、
「ゆふ院」と呼ばれるようになった
 
平安時代、古くから布を作っていたことから
物事の始まりを意味する「由」と「布」をあてられ「由布院」となった
 
大正時代、地元の有力者が由布院に
別荘を建てたことから次第に温泉街として有名になった
 
昭和30年、由布院町と隣村の湯平村が合併
湯平村の「湯」を由布院の「由」にあてて、「湯布院」が誕生した
昭和30年前に建てられた建物や施設は、由布院を使用している
さらに温泉の正式名称も、由布院を使用している

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世界の金融の中心といえばウォール街
直訳すると壁の街
 
●ウォール街には、実際に壁があった
 
ニューヨークは、建国前、ニューアムステルダムと呼ばれていた
ニューアムステルダムは、オランダによる植民地の拠点だった
1652年、ニューアムステルダムを管轄していたオランダ西インド会社が、
先住民やニューイングランドに入植したイギリス人からの
攻撃に備えて、木材などを利用して壁を築いた

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ニューヨーク湾にあるリバティ島に建つ女神像
自由の女神像はアメリカ合衆国の独立100周年を記念して、
独立運動を支援したフランス人の募金によって贈呈され、1886年に完成した
フランス人の彫刻家:フレデリク・バルトルディが設計し、
顔は母親をモデルにした言われている
右手にはたいまつを掲げ、
左手にはアメリカ合衆国の独立記念日である1776年7月4日と
ローマ数字で刻印された独立宣言書を持っている
足元には引きちぎられた鎖と足かせがあり、
全ての弾圧、抑圧からの解放と、
人類は皆自由で平等であることを象徴している
 
イギリスで迫害されたキリスト教のプロテスタントが、
新天地を求めてアメリカ大陸に渡り、13の植民地を開拓
他にも色んな人たちが移住する中で、
イギリス本国から重い税金を課せられた
高い税金をかけられた紅茶に対して、
不買運動が起き、コーヒーを飲むようになる
独立運動が盛り上がり、イギリスとの戦争に発展
この時、植民地側に味方してくれたのが、
イギリスと仲の悪かったフランス
 
自由の女神は、その頃からの友好の印として独立100周年に贈られた

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