Category Archives: 発祥/起源/きっかけ

●鉛筆削りが普及したのは、浅沼稲次郎暗殺事件がきっかけ
 
1960年10月12日、社会党委員長の浅沼稲次郎が刺殺された事件が起きた
 
2500人の聴衆で埋まった日比谷公会堂
17歳の右翼の少年は、午後3時頃演壇に立った浅沼委員長の左胸を
持っていた刃渡り33センチメートルの銃剣で浅沼委員長の胸を2度突き刺した
 
この演説会は、NHKのラジオ第1放送で生中継され、
さらに事件の生々しい様子を収めた映像を放送され、世の中に衝撃を与えた
 
当時、鉛筆はナイフで削っていたため、子供はみな持っていた
この事件をきっかけに「子供に刃物を持たせない運動」が始まる
以降、安全な鉛筆削りが普及した

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オフィスは、グレーを基調とした地味な家具が多い
しかしオフィスにグレーが多いのは、日本独自のセンスではない
 
●オフィス家具が、グレーだらけの理由
 
日本で初めてグレーのオフィス家具を製造した株式会社オカムラによると、
当時、横浜に駐屯していた米軍からオフィス家具の発注があった
軍艦や戦闘機に使っているグレーを使用してもらいたいと要望
 
戦時中は鉄がなく日本は木製家具しか作っていなかった
スチール家具を初めて見た日本人の間で、
スチール家具=グレーという思い込みが生まれたのでは、と考えられている

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●そば屋の発祥は、大阪
1583年、豊臣秀吉が大阪上の建築を始めた頃、
大阪の街に5万人以上の土木関係者が集められた
彼らの腹を満たすために様々な食事処が開店した
砂利などの資材置き場で開店したのが、日本初の蕎麦店
通称「砂場」
大阪市西区新町二丁目の新町南公園に砂場発祥の石碑がある
 
●大阪にうどん文化が生まれたのは、大阪城の築城後
巨石を運ぶのに昆布の滑りを利用していた
大阪に大量の昆布が流通したことで昆布出汁が一気に浸透
うどんとの相性がよく、蕎麦をしのぐ人気メニューとなった

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和食は大抵、箸を使って食べるのが当たり前
しかし寿司は、手づかみで食べるのが、ツウと言われている
 
●寿司を手づかみで食べるようになったワケ
江戸時代、屋台寿司が大流行
当時の寿司は、おにぎりくらい大きかった
そのため箸で持ちづらく、手づかみで食べざる得なかった
その手づかみで食べる習慣が、現代にも残ったという
 
当時の江戸は、建設ラッシュで全国から労働者が集まっていた
ゆっくり昼食をとってられず、サクッと食べられる寿司が人気に
彼らに来てもらうために寿司は、大きくなった
大きい寿司は人気となり、女性や子供も食べるように
その時にどうしても食べづらいということで、
大きい寿司を半分に切って出すようになった
現在、2貫ずつ提供される寿司は、この名残り
 
●江戸時代の酢飯
現在の寿司には、透明な米酢が使われているが、
江戸時代では酒粕からできた茶褐色の粕酢を使用していた

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●「もりそば」と「ざるそば」の違い
海苔が乗っているそばが、ざるそば
海苔が乗っていないそばが、もりそば
 
●ざるそばは、もりそばに海苔を乗せただけ
日本で そばが食べられるようになったのは、室町時代
この時代のそばは、団子状で生や焼いたりして食べていた
現在のそばがきに近い
 
室町時代後期になると平らに伸ばして麺状に切るそばが誕生
つなぎの小麦粉が入っていないので、
すぐ切れるため今のそばよりも太かった
 
江戸時代になると小麦粉をつなぎに入れた二八そばが誕生
当時もそばは、つゆにつけて食べるのが一般的
木の器に盛っていたため、そばを盛る→もりそばと呼ばれるようになった
 
江戸時代中期、現在の江東区深川の伊勢屋という人気のそば屋があった
当時のそばは、お椀に盛られていた
しかしそばについていた水が、お椀の底に溜まり、味を損ねていた
そこで湯切りで使っていた大きなざるを小さくし、それを皿に乗せて提供した
そばがグチャグチャになることが無くなったので
最後まで美味しく食べられるようになった
ざるに盛ることから、ざるそばと名付けられた
伊勢屋のざるそばが人気になると、
ざるそばをメニューに加えるそば屋が続出
 
明治時代、ざるそばを出す店が増えたため、
海苔を乗せて高級感を出し差別化を図った店が登場
当時、海苔の生産量は少なく高価だった
他にもそばつゆにみりんを加えたり、
そばの量を増やすことで差別化を図る店も出てきた
海苔を乗せたざるそばは、物珍しさと香りが合い大人気となる
今では海苔を乗せていていないそばを、もりそば
海苔を乗せて高級感を出したそばを、ざるそばと呼ぶようになった
 
●そばをせいろに盛るようになったワケ
江戸時代末期になると物価の上昇によって、
そば粉の値段も上がり、そば屋の経営が難しくなった
そばの値段を上げるのをためらった店主は、そばの量を減らすことに
江戸幕府は、そば屋の値上げの陳情を却下し、底上げを認めた
この底上げをきっかけに、そばをせいろに盛るようになった

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●温泉まんじゅうの発祥は、群馬県の伊香保温泉にある勝月堂
明治43年、東京で修業した初代店主:半田勝三は、
伊香保温泉に名物を作ろうと考えていた
注目したのは、手ぬぐいが茶色く染まるほど
鉄分が多い茶色い伊香保の湯
黒糖を使って茶色い和菓子が作れないか、
試行錯誤すること半年
ついに理想のまんじゅうが完成した
 
●全国に広まったのは、昭和天皇のおかげ
昭和9年に行われた陸軍特別大演習で
昭和天皇がお買い上げになられ、
トラック一台分の温泉まんじゅうをお買い上げ、
兵隊たちに配ったという

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●俳句と川柳の違い
どちらも5・7・5の17音だが、俳句の基本ルールは、
1、風景を詠む 2、季語を入れる 3、切れ字を使う
川柳の基本ルールは、1つ。人間を詠むこと
 
平安時代、貴族たちの間で和歌が大流行した
和歌は5・7・5・7・7の31音を一つの首として詠んだもの
和歌の基本ルールは、
1、風景を詠む 2、季語を入れる 3、切れ字を使うと俳句と同じ
室町時代になると、1人で詠む和歌から連歌という遊びが誕生した
連歌とは、数人でリレー形式に詠んでいく和歌
1人目が5・7・5の句を詠み、次の人が前の句を受けて7・7の句を詠み、次の人が前の句を受けて5・7・5の句を詠み、次の人が前の句を受けて7・7の句を詠む
 
江戸時代初期になると連歌が庶民にも広まっていった
貴族から見ると庶民が読む句は、滑稽に見えたため、滑稽という意味を持つ諧に俳をつけて俳諧連歌と呼び、区別した
 
その俳諧連歌から、最初の5・7・5だけを詠む新たな遊びが誕生した
明治時代、その遊びに俳句と名付けたのが、正岡子規
 
川柳は、俳句と同じように俳諧連歌を基に江戸から生まれた
当時の江戸は100万都市で人間ばかり
俳句のように景色を見に行けず、人間観察から生まれた
1765年、柄井川柳が選んだ庶民の句をまとめた句集「誹風柳多留」が発表され、ベストセラーに
川柳の名は広まり、庶民の5・7・5の句を選者である川柳の名をとって川柳と呼ばれている

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江戸川大学:斗鬼正一 教授によると
台所とお勝手は、今でこそ料理をする場所という意味で使われているが、元々、別の意味だった
 
●元々 台所は、料理を盛りつけする場所だった
日本では奈良時代から火を使って調理する場所を「くりや」と呼んでいた
そして中国から、調理をするという意味の「厨」という漢字が入ってきた時に、「くりや」に「厨」の漢字をあてた
平安時代の貴族の屋敷、厨(くりや)で作られた料理は、盛りつけをする台盤所に運んでいた
貴族が使っていた足つきのお膳を台盤と呼び、台盤を並べて盛りつけする場所を台盤所と呼ぶようになった
次第に、台盤所を略して、台所と呼ぶようになった
元々、台所とは、料理を盛りつける場所のことだった
そして台所を仕切る主人の妻のことを丁寧な意味になる「御」をつけて「御台所(みだいどころ)」と呼ぶようになった
室町時代になると厨から台所まで料理を運ぶ手間を省くため、同じ建物の中に造られるようになった
その場所全体を台所と呼ぶようになった
 
●元々 お勝手は、使用人が自由にできる台所のことだった
室町時代になると男性の権力がより強くなり、男社会が色濃くなった
使用人の女性は屋敷の中では自由にできない風潮になっていった
しかし台所だけは使用人の女性が食事をしたり談笑したり男の目を気にせず、唯一自由にできる場所だった
使用人の女性にとって台所は、勝手がきく場所だったため、丁寧語の「お」をつけて「お勝手」と呼ぶようになった
今でも台所にある小さな出入り口を勝手口と呼ぶが、使用人の女性たちが勝手に外に行き来できる出入り口だったので勝手口と呼ぶように

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●無名のサラリーマン 安達一雄の功績
 
江戸時代、日本人はマグロの赤身は食べていたが、脂身は捨てていた
冷蔵庫がない時代、脂身は傷みが早いため捨てるしかなかった
 
大正7年、東京 日本橋にある吉野鮨の常連だった三井物産の安達一雄
当時、脂が多いことから「アブ」と呼ばれていたマグロの部位が、
口の中でとろけるからと「トロ」と名付けることを店主に提案
 
すると「トロ」という響きが、他の客の食欲をそそり、
徐々に好んで食べられるようになり、寿司には欠かせないネタとなった

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●たこ焼きのルーツは、福島県会津
 
明治から大正にかけラヂオ焼きという食べ物が流行った
小麦粉を溶いて、こんにゃくや牛すじなどを入れ、
ボール型に焼き上げた一品
 
1933年、大阪 今里でラヂオ焼きの屋台を始めた遠藤留吉が、
具材をタコに変え、ラヂオ焼きのタコ入りとして、たちまち人気に
その店の名が、会津屋
たこ焼きの発祥の店
 
遠藤留吉の出身は、福島県会津坂下町
生地に入れる和風だしは、会津のおふくろの味 こづゆを思い出しながら作り上げたという

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