Category Archives: 言葉/語源/由来

●富士山の名の由来は、かぐや姫にある
 
富士山の名には、竹取物語のかぐや姫が関係している
竹から生まれたかぐや姫
やがて絶世の美女となり、帝から結婚を求められる
しかし、かぐや姫は不老不死の薬を帝に渡し、月の都に帰ることに
かぐや姫がいないのに長生きしても仕方がない、と
帝は月に一番近い山で不老不死の薬を焼くように家臣に命じる
家臣はたくさんの兵士を護衛につけ、月に一番近い山を登った
その山は、「士が富む山」と書いて「富士山」と呼ばれるようになった
 
他にも不老不死の薬を燃やした不死の山→富士山という説も
 
竹取物語ができた頃、富士山は噴煙を上げていたことが分かる

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明治神宮の鳥居をくぐって5分ほど歩いたあたりに
竹の柵に囲われたモミの木がある
 
そこには高さ54m、幹の直径10.8mの巨大なモミの木が生えていた
そのモミの木に登ると江戸城を覗き見することができるため、
江戸幕府によって木登り禁止令が出されたほど
幕末には、この木に登って黒船を見ていた人がいた
それほど巨大なモミの木が、この地に代々生え続けていたことから、
この地を代々木と呼ばれるように
 
巨大なモミの木は、昭和20年5月の戦禍で焼失し、
その後、植え継いだのが、現在のモミの木

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桜を見に行くことを花見という
なのに、紅葉を見に行くことを「もみじ狩り」という
元々、桜を見に行くことも「桜狩り」と言っていた
 
●植物を見て楽しむことを、なぜ○○狩りがつくのか?
もみじ狩りや桜狩りは、平安時代に誕生した言葉
○○狩りとは、いのしし狩りやきのこ狩りのように
山に入って何かをとってくるという意味
平安時代の貴族は、桜が咲いた枝や紅葉したもみじの枝を
折って持って帰ってきて鑑賞したり、
かんざしや着物の帯にさしてオシャレとして楽しんでいた
山に入って桜やもみじの枝を折って採ってきていたことから
もみじ狩り、桜狩りと呼ばれていた
 
●桜狩りが消えたワケ
平安時代初期、貴族の間では春になると
山に桜の枝を採りに行く桜狩りが流行
しかし御所に住んでいた仁明天皇は、安全上、桜狩りに行けず、
貴族たちが山で採ってきた桜の枝を御所で見ることしかできなかった
834年、仁明天皇は清水寺へ出かけた際に
近くの山に生えている桜の木を初めて目にする
初めて見た桜の木に感動した仁明天皇は、
御所の庭に植えていた梅の木を全て抜き、
山から持ってきた桜の木に植え替えさせた
そして貴族たちも仁明天皇を真似て桜を庭に植えるように
自宅の庭で桜が見られるようになったので、
桜を見るためにわざわざ山に入って桜狩りをする必要がなくなった
そのため桜狩りという言葉も徐々に使われなくなり、今では花見という言葉だけ残った
紅葉は、たくさんの木が色づく美しさが魅力のため、
山に紅葉を見に行く「もみじ狩り」の習慣は残った

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タコの足には、他に呼び名がないが、
イカの足は、ゲソと呼ばれる
 
●イカの足をゲソと呼ぶようになったワケ
イカの足をゲソと呼ぶようになったのは、江戸時代
ゲソを漢字で書くと「下足」
ゲソとは、「下足(げそく)」の略
下足の「下」は、上下の「下」ではなく、脱ぎ捨てるという意味
「足」は「履物」を意味する
「下足」は、脱ぎ捨てた履物のこと
 
イカをさばく時は、イカを足を胴体から外す
胴体は、キレイに切られて寿司や刺身として食べられる
外した足は今でこそ食べているが、
昔は硬くて美味しくない部分として捨てていた
そのためイカの足に元々呼び名はなかった
捨てていたイカの足は、まかないとして食べられることもあった
まかないとして食べていたイカの足を見た客が、
食べたいと要望し、提供すると人気となり、
メニューとして出すように
元々イカは胴体を指す呼び名だったため、
胴体と足を区別するために足を指す別の呼び名が必要になった
そこで捨てられていたイカの足が、
脱ぎ捨てられた履物に似ていたことからイカの足を下足と呼ぶように

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●料理を届けてくれるサービス 出前と宅配の違い
出前という言葉が誕生したのは、江戸時代中期
安くて手軽に食べられるそばが、流行していた
しかし遊郭 吉原で働いていた遊女たちは、
吉原から出られないため店に行けない
人気のそばをどうしても食べたかった遊女たちは、
店の使用人に、そばを届けてもらうようお願いした
こうして出来立ての料理を店以外の場所に届けるサービスが生まれ、
次第に利用する人が増え、出前という言葉が誕生した
出前の出は、店から作った料理が出る、の出
前は、1人前、2人前の分量を表している
 
その後、出前のサービスは、そば屋だけでなく
寿司屋やうなぎ屋などでも行われるようになった
 
出来立ての料理を店から配達することに
初めて宅配という言葉を使ったのは、ピザ業界
日本で宅配ピザが誕生したのは、1985年
アメリカで流行していたピザを客のもとへ
届けるデリバリーのスタイルを日本に持ち込んだ
デリバリーピザは、店内で食べられずピザを届けるだけ
つまり配達専門店
 
出前する店は、店で料理を提供するのがメインで、配達はサービス
デリバリーピザは、配達するのがメイン
出前を行う店と差別化するために出前という言葉を使わなかった
当時、客のもとに荷物を運ぶ配送業者が
使っていた宅配便という言葉をピザを運ぶサービスの名前として使ったと言われている

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●和泉と書いて「和」を発音せず「いずみ」と読む理由
奈良時代 713年、第43代 元明天皇が二次佳名の詔という法律を発布
国の名前を二文字に統一しなさいという命令
国づくりの手本としていた中国の都市の名前が、
長安や洛陽など感じに文字の名であったため
もう一つ、二次佳名の詔には決まりごとがあった
縁起の良い字を一文字を使用すること
 
泉国の長は、平和な泉の国がいつまでも続くようにとの願いを込めて、
泉の前に「和」をつけて読みを変えずに「和泉」と国名を変えた
そして国名が変わったことで和泉国に住んでいた泉さんも和泉に名を変えた
泉国は、現在の現在の大阪府南西部にあった
関西地方には、泉、津、倭、木という一文字の国が点在していた
現在の兵庫県のあたりにあった津は、摂津という国名に
現在の奈良県にあった倭は、大和という国名に
現在の和歌山県あたりにあった木は、紀伊という国名に、それぞれ変更した
 
●漢字一文字の泉の苗字は、和泉とは関係がない
和泉の湧くところに住んでいた人が、泉と名乗っただけ

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大東文化大学:山口謠司 准教授によると
野良猫とは、飼い主がいなくて住みかが決まっていない猫のこと
●のら猫の語源
のらりくらりしている猫から、「のら」に「野良」という漢字を当て
のら猫と呼ばれるようになった
 
どら猫という言葉は、江戸時代から使われている
どら猫とは、のら猫が盗みをする猫のこと
●どら猫の語源
どら猫の前に、どら息子と言う言葉が生まれた
どら息子は、怠け者で働かず、親のスネをかじっている子供のこと
そんな子供は、親の金を尽きさせてしまう
お金が尽きる→金を尽く→鐘を突く→銅鑼を突くにかけて、
どら息子と呼ばれるようになった
盗みを働くのら猫も、どら息子と同様に
親の金を尽きさせてしまうことからどら猫と呼ばれるようになった

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●京都には道路しかない町がある
 
それは、京都市桑原町
京都御所と京都地方裁判所の間にある道路の一角
 
元々は、裁判所までが桑原町だったが、
裁判所ができたときに別の地名がついてしまい、道路だけ地名が残った
普通、道路しかなければ地名は、無くなるモノだが、
桑原町は「くわばら くわばら」の由来
 
「くわばら くわばら」とは落雷を避けるための呪文
桑原町には、昔 菅原道真が住んでおり、雷が落ちなかった
雷が落ちなかった恩恵が元となり、雷を避ける呪文とされた
そのため桑原町の地名を無くしてしまうのをためらい、道路しかない町となった

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●国会では議会の規則によって「君」づけで呼ぶことが決まっている
議員は互いに敬称を用いなければならない、
と衆議院要覧に記載されている
さらに、議員は議場、又は委員会においては、
互いに敬称として「君」を用いる、と参議院先例録に記載されている
したがって衆議院も参議院にならって敬称として「君」づけをしている
明治23年、日本で初めて行われた第1回 帝国議会でも、
すでに「君」が議員の敬称として使われている
 
●「君」づけが敬称として使われるようになったのは、吉田松陰がきっかけ
吉田松陰は、幕末、松下村塾で明治維新で活躍する若者を指導した教育者
江戸時代、農民、商人、武士と身分制度がはっきりとしていた
松下村塾の塾生には、そうそうたる顔ぶれがそろっていた
農民出身しながら後に初代内閣総理大臣になる伊藤博文、
下級武士出身で、第3代、第9代と2度も内閣総理大臣を務めた山形有朋、
外国軍や幕府軍と戦うために奇兵隊を創設した武家出身の高杉晋作、
尊王攘夷のリーダー的存在となった医師の久坂玄瑞など
幕末から明治にかけて新しい日本を築いた若者が多く在籍していた
当時、松下村塾には、武家出身の者から農民出身の者まで
様々な身分の若者たちが集まっていた
そのため対等な立場で議論すべき時も、
身分差によって下の者が上の者に配慮してしまう
目上の者から目下の者へは「殿」、
目下の者から目上の者へは「様」と
身分の違いによって敬称が分かれていた
そこで吉田松陰は、対等に議論させるために
身分差に関係ない新たな敬称「君」を作った
「君」の由来は、「君主」や「主君」の「君」
そして吉田松陰が多くの塾生を呼びかける時は、
「諸君」と呼ぶようになった
 
また一人称の「僕」も吉田松陰が流行らせた
「僕」は「しもべ」とも言い、
周囲に対して自分がへりくだっているという意味がある
吉田松陰が、自分をへりくだっていう言葉として使いだし、
松下村塾内で流行し、明治の代の中で徐々に意味が変わり、
現代のような使い方になった

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「なすび」は「なす」の方言ではない
●「なすび」の呼び方
ナスは奈良時代に中国から日本に入ってきた
当時はとても貴重な食べ物だったので、
天皇や貴族など身分の高い人しか食べられていなかった
平城京の跡地から出土した木簡には、「奈須比(なすび)」と書かれている
「なすび」の由来は、ナスの味と関係している
当時のナスの味は、酸っぱかったという
「中が酸っぱい実」ということから
「なかすみ」→「なすみ」→「なすび」と呼び名が変化し、
奈須比という漢字があてられた
都があった関西地方を中心に「なすび」という呼び方が広まった
 
●「なす」の呼び方
「一富士 ニ鷹 三なすび」は江戸時代にできたことわざ
これは徳川家康が好きだったモノの順番で、
それくらい家康は、なすびが大好物だった
しかし、ナスは関西地方を中心に作られていたため、
江戸では なかなか手に入らなかった
そこで家康の命により江戸でも ナスが作られるようになり、
次第に「なすび」という呼び名は江戸でも広まっていった
当時は、ナスの生産が少なく値段が高いため、なかなか売れなかった
商人は、ナスを「成す」縁起の良い野菜として
「なすび」を「なす」として売り出した
「なす」に変えたことで商売が繁盛する縁起の良い野菜として
人々が買うようになり、「なす」という呼び名が広まった

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