Category Archives: 言葉/語源/由来

おつまみ、酒の肴は、現在 お酒を飲むときに食べるものと
同じ意味で使っているが、
本来は、おつまみと酒の肴は、明確に分けることができる
酒の肴は、奈良時代には使われていた
当時酒の肴は、塩、醤、塩辛、貝の干物、果物、木の実など
肴(さかな)の「さか」は「酒」のこと、「な」は「おかず」のこと
●さかな とは、酒を飲むときに食べる料理のこと
その後、中国に、酒を飲むときに添える料理という意味の
「肴(こう)」という漢字があったので、「さかな」という言葉にあてられた
 
「おつまみ」という言葉が使われるようになったのは、
平安時代から室町時代と言われている
当時、酒と一緒に食べられていたのは、
塩、醤、塩辛、貝の干物、果物、木の実の他に
魚介類などの蒸し物、野菜の煮物、鴨や雉の焼物
この中で おつまみに分類されるのは、塩、貝の干物、木の実
●おつまみとは、箸を使わずに手でつまんで食べるもの
 
●魚(さかな)の由来は、酒の肴
江戸時代以前は、魚は訓読みで「うお」、音読みで「ぎょ」と呼んでおり、
さかなとは呼んでいなかった
江戸時代になると漁が盛んに行われるようになり、
酒と一緒に食べる料理として、刺身や焼き魚などの魚料理が
人気となりよく食べられるようになった
酒の肴のイメージが魚となり、次第に魚(うお)を(さかな)と呼ぶようになった

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山手線 池袋駅は、元々何もない鉄道を分岐する信号所だった
明治36年、町の発展により駅へ昇格した
 
●池袋の地名の由来は、袋のような丸い池がたくさんあったから
 
池袋村は、現在の池袋駅よりも北側にあり、袋の形をした池がたくさんあった
この辺りは、窪地だったため、水が沸き、
池が極めて多かったことから、そのまま地名となったと考えられている
 
ホテルメトロポリタンの前にある元池袋史跡公園に、
池袋の由来となったとされる池と川があった
昭和初期まで農業用水として利用されていたが、
都市開発により川は地下を流れる暗渠となっている

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●渡部さんの職業は、船渡しだった
飛鳥時代には、渡部さんがいたと言われている
現在の大阪、摂津国で船渡しをしていた人たちが、名乗った名字が渡部
部は、当時の職業を表す漢字
船渡しの職業を渡部と書き、(わたしのべ)と呼んでいた
次第に、わたしのべ→わたしなべ→わたなべと変化した
船渡しの職業だった人が、その後、名字として名乗るようになった
 
●渡辺は、元々名字ではなく地名だった
平安時代、現在の大阪あたりで船渡しの仕事をしていた渡部さんたちは、
職業柄 皮の近くの集落に住んでいた
そんな渡部さんが住む集落を渡部の辺りと呼んでいた
次第に渡部を辺りを略して、渡辺という地名で呼ぶようになった
 
平安時代中期になると渡辺の地を治めるため源綱が訪れる
渡辺を治ることになった源綱は、渡辺綱と姓を改めた
それまで地名だった渡辺を、名乗ったため最初の渡辺となった
 
当時、京の都の近くには鬼と呼ばれていた盗賊が悪さをしていた
鬼退治に呼ばれた渡辺綱は、見事に鬼を成敗した
この鬼退治伝説は、都周辺に広がった
渡辺綱の活躍が広まるにつれ、渡辺に姓を変える渡部さんが続出
 
その後、鎌倉時代になると船渡しをしていた渡辺さんは、
その技術が買われて各地の権力者に雇われるようになり、
全国に渡辺さんが広まった
 
●他に派生したワタナベの名字は、戸籍を登録するときに役人が書き間違えたモノ

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●元々 大阪は大坂だった
現在の大阪府のあたりが、
オオサカと呼ばれるようになったのは室町時代後期
当時の摂津に、浄土真宗の僧侶 蓮如が寺を建てた
近くに大きな坂がある寺だったので、
寺を意味する御坊をつけて、大坂御坊と名付けられた
 
その後、安土桃山時代になると天下統一した豊臣秀吉が、
大坂御坊の跡地に城を建てた
それが大阪城
現在は、コザトヘンの大阪城だが、江戸時代までは大坂城だった
そして次第に大坂城周辺の地域のことを大坂と表記するようになった
 
江戸時代後期になると、ツチヘンの大坂が縁起が悪いと
コザトヘンの大阪に変えていくようになった
坂を分解すると土反→土にかえる、と言い、
武士が、死を連想させると縁起が悪いとした
坂と同じ意味を持つ阪に変える風潮となり、
明治時代になると正式に大阪の阪がコザトヘンになった

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●富士山の名の由来は、かぐや姫にある
 
富士山の名には、竹取物語のかぐや姫が関係している
竹から生まれたかぐや姫
やがて絶世の美女となり、帝から結婚を求められる
しかし、かぐや姫は不老不死の薬を帝に渡し、月の都に帰ることに
かぐや姫がいないのに長生きしても仕方がない、と
帝は月に一番近い山で不老不死の薬を焼くように家臣に命じる
家臣はたくさんの兵士を護衛につけ、月に一番近い山を登った
その山は、「士が富む山」と書いて「富士山」と呼ばれるようになった
 
他にも不老不死の薬を燃やした不死の山→富士山という説も
 
竹取物語ができた頃、富士山は噴煙を上げていたことが分かる

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明治神宮の鳥居をくぐって5分ほど歩いたあたりに
竹の柵に囲われたモミの木がある
 
そこには高さ54m、幹の直径10.8mの巨大なモミの木が生えていた
そのモミの木に登ると江戸城を覗き見することができるため、
江戸幕府によって木登り禁止令が出されたほど
幕末には、この木に登って黒船を見ていた人がいた
それほど巨大なモミの木が、この地に代々生え続けていたことから、
この地を代々木と呼ばれるように
 
巨大なモミの木は、昭和20年5月の戦禍で焼失し、
その後、植え継いだのが、現在のモミの木

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桜を見に行くことを花見という
なのに、紅葉を見に行くことを「もみじ狩り」という
元々、桜を見に行くことも「桜狩り」と言っていた
 
●植物を見て楽しむことを、なぜ○○狩りがつくのか?
もみじ狩りや桜狩りは、平安時代に誕生した言葉
○○狩りとは、いのしし狩りやきのこ狩りのように
山に入って何かをとってくるという意味
平安時代の貴族は、桜が咲いた枝や紅葉したもみじの枝を
折って持って帰ってきて鑑賞したり、
かんざしや着物の帯にさしてオシャレとして楽しんでいた
山に入って桜やもみじの枝を折って採ってきていたことから
もみじ狩り、桜狩りと呼ばれていた
 
●桜狩りが消えたワケ
平安時代初期、貴族の間では春になると
山に桜の枝を採りに行く桜狩りが流行
しかし御所に住んでいた仁明天皇は、安全上、桜狩りに行けず、
貴族たちが山で採ってきた桜の枝を御所で見ることしかできなかった
834年、仁明天皇は清水寺へ出かけた際に
近くの山に生えている桜の木を初めて目にする
初めて見た桜の木に感動した仁明天皇は、
御所の庭に植えていた梅の木を全て抜き、
山から持ってきた桜の木に植え替えさせた
そして貴族たちも仁明天皇を真似て桜を庭に植えるように
自宅の庭で桜が見られるようになったので、
桜を見るためにわざわざ山に入って桜狩りをする必要がなくなった
そのため桜狩りという言葉も徐々に使われなくなり、今では花見という言葉だけ残った
紅葉は、たくさんの木が色づく美しさが魅力のため、
山に紅葉を見に行く「もみじ狩り」の習慣は残った

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タコの足には、他に呼び名がないが、
イカの足は、ゲソと呼ばれる
 
●イカの足をゲソと呼ぶようになったワケ
イカの足をゲソと呼ぶようになったのは、江戸時代
ゲソを漢字で書くと「下足」
ゲソとは、「下足(げそく)」の略
下足の「下」は、上下の「下」ではなく、脱ぎ捨てるという意味
「足」は「履物」を意味する
「下足」は、脱ぎ捨てた履物のこと
 
イカをさばく時は、イカを足を胴体から外す
胴体は、キレイに切られて寿司や刺身として食べられる
外した足は今でこそ食べているが、
昔は硬くて美味しくない部分として捨てていた
そのためイカの足に元々呼び名はなかった
捨てていたイカの足は、まかないとして食べられることもあった
まかないとして食べていたイカの足を見た客が、
食べたいと要望し、提供すると人気となり、
メニューとして出すように
元々イカは胴体を指す呼び名だったため、
胴体と足を区別するために足を指す別の呼び名が必要になった
そこで捨てられていたイカの足が、
脱ぎ捨てられた履物に似ていたことからイカの足を下足と呼ぶように

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●料理を届けてくれるサービス 出前と宅配の違い
出前という言葉が誕生したのは、江戸時代中期
安くて手軽に食べられるそばが、流行していた
しかし遊郭 吉原で働いていた遊女たちは、
吉原から出られないため店に行けない
人気のそばをどうしても食べたかった遊女たちは、
店の使用人に、そばを届けてもらうようお願いした
こうして出来立ての料理を店以外の場所に届けるサービスが生まれ、
次第に利用する人が増え、出前という言葉が誕生した
出前の出は、店から作った料理が出る、の出
前は、1人前、2人前の分量を表している
 
その後、出前のサービスは、そば屋だけでなく
寿司屋やうなぎ屋などでも行われるようになった
 
出来立ての料理を店から配達することに
初めて宅配という言葉を使ったのは、ピザ業界
日本で宅配ピザが誕生したのは、1985年
アメリカで流行していたピザを客のもとへ
届けるデリバリーのスタイルを日本に持ち込んだ
デリバリーピザは、店内で食べられずピザを届けるだけ
つまり配達専門店
 
出前する店は、店で料理を提供するのがメインで、配達はサービス
デリバリーピザは、配達するのがメイン
出前を行う店と差別化するために出前という言葉を使わなかった
当時、客のもとに荷物を運ぶ配送業者が
使っていた宅配便という言葉をピザを運ぶサービスの名前として使ったと言われている

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●和泉と書いて「和」を発音せず「いずみ」と読む理由
奈良時代 713年、第43代 元明天皇が二次佳名の詔という法律を発布
国の名前を二文字に統一しなさいという命令
国づくりの手本としていた中国の都市の名前が、
長安や洛陽など感じに文字の名であったため
もう一つ、二次佳名の詔には決まりごとがあった
縁起の良い字を一文字を使用すること
 
泉国の長は、平和な泉の国がいつまでも続くようにとの願いを込めて、
泉の前に「和」をつけて読みを変えずに「和泉」と国名を変えた
そして国名が変わったことで和泉国に住んでいた泉さんも和泉に名を変えた
泉国は、現在の現在の大阪府南西部にあった
関西地方には、泉、津、倭、木という一文字の国が点在していた
現在の兵庫県のあたりにあった津は、摂津という国名に
現在の奈良県にあった倭は、大和という国名に
現在の和歌山県あたりにあった木は、紀伊という国名に、それぞれ変更した
 
●漢字一文字の泉の苗字は、和泉とは関係がない
和泉の湧くところに住んでいた人が、泉と名乗っただけ

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