食べ物/飲み物」カテゴリーアーカイブ

ハンバーグは、こねてから
タネをパンパン空気抜きする工程があるが、
●ハンバーグの空気抜きは、ほぼ空気が抜けてない
 
この動きは、ハンバーグに欠かせない作業で
空気を抜くのではなく、空気を散らしている
 
ハンバーグを焼いたときにひび割れてしまう原因が、空気の膨張
タネを叩くことで空気を細かく散らす
気泡が分散し、ハンバーグが割れにくくなる

(22)

スポンサード リンク
●生きている神戸牛は、存在しない
 
神戸牛が生きているときは、但馬牛と呼ばれている
 
神戸牛は、兵庫県内の但馬牛からとれた牛肉が、
ある一定の基準を満たすと名乗れるブランド名
 
厳しい審査を突破した肉だけが
神戸牛として認定されるため、
肉質の悪い神戸牛は存在しない

(29)

●関東に白いネギ、関西に青いネギが多い理由
 
関東の地層は、関東ローム層
火山灰がベースなので柔らかい
ネギが深くまで根を張りやすいため、白い部分を使うようになった
 
一方、関西の地層は、花崗岩系なので地層が堅い
ネギは、地下深くまで根を張れないので葉を使うようになった

(21)

●中華料理店の店名に○○軒が多いワケ
 
明治43年、浅草に開店した伝説の中華料理店 来々軒
元々は、○○軒は西洋料理店に使われていた
中華でも人気のある店を作りたいと店名に軒をつけ、来々軒とした
来々軒は、大繁盛した
その人気にあやかろうと後からできた中華料理店は、
こぞって○○軒を名乗った
 
来々軒の商標登録は、第二次世界大戦中に期限切れたため、
来々軒を名乗る中華料理店が日本全国に拡大した

(36)

戦後 味太助の店主 佐野啓四郎氏が、
日本人が食べやすいように編み出したのが、仙台牛タン
●牛タンが仙台の名物になったワケ
 
昭和40年代まで牛タン店は、7~8軒しかなく名物とは言えなかった
昭和55年に開店した味の牛たん喜助 仙台駅前店が、
大胆にも仙台名物と銘打った
昭和57年、東北新幹線が開通
すると10坪しかなかった喜助が、1か月に2000万円も売り上げた
 
言ったもの勝ち的に牛タンは仙台名物となってしまった

(55)

雷おこしの「おこし」は、遣唐使によって中国から伝来したお菓子
●雷おこしが浅草の名物になったワケ
 
雷門は、過去に3度火事に焼失、現在の雷門は四代目
三代目の雷門は、1795年 江戸中期に再建された
三代目の再建を祝して誕生したのが、雷おこし
浅草復興の興すという文字をとって雷おこしと名付けられた
 
ヒントを得たのは、大阪名物の岩おこし
豊臣秀吉の大阪城築城を祝い、大阪の掘りおこし岩おこしと
街の発展を祈願した縁起の良い名前にあやかった

(32)

●小倉トーストが愛知県の名物になったワケ
 
小倉トーストの発祥は、ぜんざいを提供していた甘味処 満つ葉
大正7年、買い占めによる米の高騰から全国に広がった米騒動が起きた
もち米も不足したため、満つ葉では、
ぜんざいに餅を入れることができなくなった
その頃、店のメニューにパンが加わった
客の学生が、餅の代わりにパンをぜんざいに浸けて食べた
それを見て満つ葉の店主が考案したのが、あんサンド
それは店の近くの旧制八高(現 名古屋大学)の学生の間で人気となった
さらに昭和の喫茶店ブームも追い風となり愛知県中に広がった

(21)

●穴子飯が広島県宮島の名物になったワケ
 
穴子が獲れるようになったのは、牡蠣のおかげ
その生産量は、全国1位
牡蠣筏に付着したエビやプランクトンが海底に沈む
それが穴子の餌になり、大量に集まってくる
 
牡蠣の養殖が始まったのは、室町時代
その副産物として穴子も獲れるようになった
 
穴子飯が宮島の名物になったのは、明治31年、
宮島駅で穴子飯の駅弁が発売され、全国に知れ渡った

(21)

蓮根の間にからしがたっぷりと詰まった熊本名物
熊本は、蓮根の産地として有名ではない
熊本の蓮根収穫量は、全国6位
●からし蓮根が熊本の名物になったワケ
 
江戸時代、肥後熊本藩の初代藩主 細川忠利は病弱だった
側近の和尚が、栄養価の高い蓮根を食べさせようとして考案した
増血効果のある蓮根に発汗 血行促進につながるからしを入れ、
卵の黄身で包み、菜種油で素揚げした
からし蓮根を大変気に入った忠利は、体調が良くなった
殿様しか食べられなかったからし蓮根は、
明治に入り、庶民も口にするようになった
名物になったきっかけは、蓮根の穴
細川家の家紋 九曜紋に似ていたことから
縁起の良い食べ物と評判になり、
熊本では冠婚葬祭やおせち料理の定番メニューになった

(21)

1年間でちくわに何円使ったランキングでは、
1位:鳥取市 3534円
2位:徳島市 2881円
3位:松山市 2428円
東京都23区は、1262円で43位
鳥取は、23年連続1位
 
●鳥取市が、日本一ちくわを食べるワケ
 
江戸時代、財政が厳しかった鳥取藩は日本海に面しているが、
漁港を整えられず、あまり良い漁港がなく魚が獲れなかった
 
そこで少ない魚を有効に使うようにたくさん収穫できた大豆と混ぜ、それを日持ちするように棒に巻き付けて焼いたのが、とうふちくわ
その文化が現在まで残り、ちくわは鳥取のソウルフードになった

(10)

スポンサード リンク