Category Archives: 食べ物/飲み物

●雨の日、ラーメンが美味しい理由
 
雨の日は、晴れの日と比べて、スープを焚いて出るアクの量が少ない
鶏ガラから出る旨味成分は、95℃以上になるとアクになる
雨の日は、気圧が低いため、沸点が低い
雨の日は、晴れの日よりもスープの旨味成分がアクにならない
 
沸騰させなければよいスープはできないが、
雨の日は、旨味成分がアクになる前に沸騰するため
スープに旨味成分がたくさん残っている

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日本ポリグル株式会社:小田兼利 会長によると
●納豆が世界の砂漠化を防ぐ
 
納豆のネバネバ成分は、
地球上で最も高い保水性があることが分かってる
納豆のネバネバ成分を粉末状に加工すると
1グラムで5リットルの水を蓄える保水力がある
 
それを水に溶かすだけで乾きにくく、
少ない水で多くの植物を育てることができる
 
現在、納豆の力で砂漠の緑化が進められている

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●わさびを醤油に溶いて食べると勿体ない
わさびの辛味の元となるイソチオシアネート化合物には、
血液をサラサラにし、血流を改善する効果がある
しかも1日たった5g摂るだけで、その効果が期待できる
イソチオシアネート化合物は、水溶性のため
醤油に溶かすと流れ出てしまう
いちいち面倒でも、わさびは刺身に乗せて食べた方が良い
 
そばを食べる時も同じ
汁に溶かさず、そばに乗せて食べる方が良い
 
●イソチオシアネート化合物は、根よりも茎の方に多く含まれている

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●そば屋の発祥は、大阪
1583年、豊臣秀吉が大阪上の建築を始めた頃、
大阪の街に5万人以上の土木関係者が集められた
彼らの腹を満たすために様々な食事処が開店した
砂利などの資材置き場で開店したのが、日本初の蕎麦店
通称「砂場」
大阪市西区新町二丁目の新町南公園に砂場発祥の石碑がある
 
●大阪にうどん文化が生まれたのは、大阪城の築城後
巨石を運ぶのに昆布の滑りを利用していた
大阪に大量の昆布が流通したことで昆布出汁が一気に浸透
うどんとの相性がよく、蕎麦をしのぐ人気メニューとなった

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●バッテラは元々サバではなくコノシロを使った寿司だった
江戸時代にサバ寿司が誕生して100年以上経った明治24年
そのきっかけが、大阪湾で大量に獲れたコノシロ
コノシロとは、コハダが大きく育った出世魚
コノシロが大量に獲れ過ぎてしまい困った漁師は、
寿司常という寿司屋に買ってもらえないか、頼んだ
寿司常の店主は、酢でしめたコノシロの上に酢飯をのせ、
布巾で一つ一つ巻いて形を整え、コノシロの姿寿司を作った
この寿司が美味しいと評判となり、注文が殺到
一つ一つ巻いていると時間がかかってしまう
悩んだ店主は、コノシロの形に合わせた木型を作り、
コノシロと酢飯を入れて上から押して作ることを思いつく
 
●バッテラは、ポルトガル語
バッテーラは、ポルトガル語で小舟という意味
コノシロ寿司は、小舟のような形をしていたことから
バッテーラと呼ばれ、その後バッテラと呼ばれるようになった
 
バッテラを販売して、すぐにコノシロが獲れなくなり、
値段が上がったためサバで代用するようになった

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タコの足には、他に呼び名がないが、
イカの足は、ゲソと呼ばれる
 
●イカの足をゲソと呼ぶようになったワケ
イカの足をゲソと呼ぶようになったのは、江戸時代
ゲソを漢字で書くと「下足」
ゲソとは、「下足(げそく)」の略
下足の「下」は、上下の「下」ではなく、脱ぎ捨てるという意味
「足」は「履物」を意味する
「下足」は、脱ぎ捨てた履物のこと
 
イカをさばく時は、イカを足を胴体から外す
胴体は、キレイに切られて寿司や刺身として食べられる
外した足は今でこそ食べているが、
昔は硬くて美味しくない部分として捨てていた
そのためイカの足に元々呼び名はなかった
捨てていたイカの足は、まかないとして食べられることもあった
まかないとして食べていたイカの足を見た客が、
食べたいと要望し、提供すると人気となり、
メニューとして出すように
元々イカは胴体を指す呼び名だったため、
胴体と足を区別するために足を指す別の呼び名が必要になった
そこで捨てられていたイカの足が、
脱ぎ捨てられた履物に似ていたことからイカの足を下足と呼ぶように

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和食は大抵、箸を使って食べるのが当たり前
しかし寿司は、手づかみで食べるのが、ツウと言われている
 
●寿司を手づかみで食べるようになったワケ
江戸時代、屋台寿司が大流行
当時の寿司は、おにぎりくらい大きかった
そのため箸で持ちづらく、手づかみで食べざる得なかった
その手づかみで食べる習慣が、現代にも残ったという
 
当時の江戸は、建設ラッシュで全国から労働者が集まっていた
ゆっくり昼食をとってられず、サクッと食べられる寿司が人気に
彼らに来てもらうために寿司は、大きくなった
大きい寿司は人気となり、女性や子供も食べるように
その時にどうしても食べづらいということで、
大きい寿司を半分に切って出すようになった
現在、2貫ずつ提供される寿司は、この名残り
 
●江戸時代の酢飯
現在の寿司には、透明な米酢が使われているが、
江戸時代では酒粕からできた茶褐色の粕酢を使用していた

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●立ち食いそばは、ほぼ茶色いうどん
 
乾めん類品質表示基準(消費者庁)によると
そばを乾めんの状態で販売する際には、
そば粉が30%未満のものは、その割合の表示義務がある
しかし飲食店には、表示義務がない
 
立ち食いそばは、値段を抑えるため、
そば粉よりも小麦粉が多く使われている
もしそば粉を10割で作ると値段が2~3倍に跳ね上がる
 
近年、企業努力により、そば粉を5割以上入れる立ち食いそば屋もある

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●お好み焼きにマヨネーズをかけるようになったのは、ツナマヨおにぎりがきっかけ
 
1974年、日本初のコンビニ セブンイレブンの1号店が豊洲にオープン
1978年、日本初のコンビニおにぎりを発売
1983年、ツナマヨネーズを発売
たまたま開発者の子供がご飯にマヨネーズをかけて食べていたのを見て、
作ったことがきっかけだった
若者を中心に人気となり、わずか半年で売上1位に
 
この人気をきっかけにお好み焼きなどの
和食にもマヨネーズがかけられるようになった
それまでマヨネーズといえば、サラダにかけるものだったが、
お好み焼きやたこ焼きなどに使われるようになった

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●「もりそば」と「ざるそば」の違い
海苔が乗っているそばが、ざるそば
海苔が乗っていないそばが、もりそば
 
●ざるそばは、もりそばに海苔を乗せただけ
日本で そばが食べられるようになったのは、室町時代
この時代のそばは、団子状で生や焼いたりして食べていた
現在のそばがきに近い
 
室町時代後期になると平らに伸ばして麺状に切るそばが誕生
つなぎの小麦粉が入っていないので、
すぐ切れるため今のそばよりも太かった
 
江戸時代になると小麦粉をつなぎに入れた二八そばが誕生
当時もそばは、つゆにつけて食べるのが一般的
木の器に盛っていたため、そばを盛る→もりそばと呼ばれるようになった
 
江戸時代中期、現在の江東区深川の伊勢屋という人気のそば屋があった
当時のそばは、お椀に盛られていた
しかしそばについていた水が、お椀の底に溜まり、味を損ねていた
そこで湯切りで使っていた大きなざるを小さくし、それを皿に乗せて提供した
そばがグチャグチャになることが無くなったので
最後まで美味しく食べられるようになった
ざるに盛ることから、ざるそばと名付けられた
伊勢屋のざるそばが人気になると、
ざるそばをメニューに加えるそば屋が続出
 
明治時代、ざるそばを出す店が増えたため、
海苔を乗せて高級感を出し差別化を図った店が登場
当時、海苔の生産量は少なく高価だった
他にもそばつゆにみりんを加えたり、
そばの量を増やすことで差別化を図る店も出てきた
海苔を乗せたざるそばは、物珍しさと香りが合い大人気となる
今では海苔を乗せていていないそばを、もりそば
海苔を乗せて高級感を出したそばを、ざるそばと呼ぶようになった
 
●そばをせいろに盛るようになったワケ
江戸時代末期になると物価の上昇によって、
そば粉の値段も上がり、そば屋の経営が難しくなった
そばの値段を上げるのをためらった店主は、そばの量を減らすことに
江戸幕府は、そば屋の値上げの陳情を却下し、底上げを認めた
この底上げをきっかけに、そばをせいろに盛るようになった

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