Tag Archives: うなぎ

昔 京都では、うなぎを開かず、ぶつ切りにして串焼きにしていた
 
●蒲焼きの由来は、ガマの穂
 
円柱状のうなぎを串に刺した形が、ガマの穂に似ていた
ガマの穂とは、茶色い円柱状の穂がついた植物
ガマの穂を漢字で書くと、蒲の穂
円柱状のうなぎを串に刺した形が、蒲の穂に似ていたため
蒲焼き(がまやき)が転じて、蒲焼き(かばやき)となった
この京都のうなぎの食べ方が、蒲焼きの始まり

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ほとんどのうなぎ屋のうな重は、うな丼に比べて、量が多いだけの差しかない
 
そもそも うなぎは、5000年前の縄文時代から食べられていた
 
江戸時代に醤油が誕生したことで、醤油ダレにつけた うなぎの蒲焼きが生まれた
味の濃い うなぎの蒲焼きは、ご飯に合うことから
ウナギの蒲焼きをご飯にのせた うな丼が誕生
江戸の町に、800軒のうなぎ屋ができ、
人気店をまとめたうなぎ屋番付表も作られるほど庶民に親しまれていった
 
●うな重は、温かいまま届けるために誕生した
明治時代、洋食中心の役人がうなぎ屋にうな丼の出前を注文した
しかし店主が役人の家に配達したころには、うな丼が冷めてしまう
正月などに使われていた重箱にご飯を詰めて うな重を作り、
当時、ご飯を五右衛門風呂の上で保温していた方法を応用し、
お湯を入れた重箱を挟んで配達し、冷めないように工夫した
 
温かいまま届けるために生まれたうな重だったが、
見た目がうな丼より高級感があり、庶民の間でも人気となり、
店主は、うな丼とは別にうな重も店で提供し始めた
お重にうな丼の蒲焼きをそのまま乗せるとうなぎが小さいため、
お重に合わせてうなぎの量を増やして、値段を上げた

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●うなぎはヌルヌルを使って崖を上る
日本大学 塚本勝巳 教授によると
うなぎは鮭のように川を遡る性質がある
急流や滝にさしかかると
水から出て巌を這いあがり上流に向かう
ヌルヌルした体を岩にピッタリとくっつけることで登る
 
普段 うなぎはエラ呼吸だが、
水の無い場所では、
ヌルヌルに空気中の酸素を取り入れ、皮膚呼吸ができる
湿った場所なら2~3日は生きられ、
蛇のように草むらを移動する
 
高さ97mの日光 華厳の滝も登った記録もある
うなぎのぼりは、どんなところでも登っていくうなぎを表した言葉

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●土用の丑の日の起源は、奈良時代
1200年前にその習慣を推奨したのが、大伴家持
万葉集に編まれた大伴家持の歌が
“石麻呂に吾物申す 夏痩せに良しといふ物ぞ 鰻漁り食せ”
石麻呂が夏痩せしていたので、
夏痩せに良いとされる鰻を獲って食べなさい、という歌
1200年前、鰻を夏に食べることを推奨した最古の人物
 
江戸時代に平賀源内が考案した説もある
商売がうまく行かない鰻屋が、夏に売れない鰻を何とか売るため源内の所に相談に行った。源内は、「本日丑の日」と書いて店先に貼ることを勧めた。
すると、その鰻屋は大変繁盛した。その後、他の鰻屋もそれを真似るようになり、土用の丑の日に鰻を食べる風習が定着したという説

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鈴鹿医療科学大学:長村洋一によると
うなぎと梅干しの相互作用で健康を害する要素は見当たらない
梅干を食べると評価液を分泌されるので、
むしろ一緒に食べた方が良い
 
●うなぎと梅干しの食べ合わせが悪いは、間違い
 
300年前から全国各地を回り、
薬を売り歩いていた富山の薬売り
彼らは薬を売るだけでなく、
健康のために注意すべき食べ合わせ表も配っていた
その食べ合わせ表には、迷信も含まれており
その間違った迷信のひとつが、うなぎと梅干だった

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1961年に発売された春華堂の「うなぎパイ」
夜のお菓子で親しまれる浜松を代表する定番のおみやげ
●夜のお菓子として有名な うなぎパイは精力増強とは関係ない
夜のお菓子とは、浜名湖に遊びに来た観光客が買って帰って、
夜 家族団欒で食べてもらいたいというキャッチフレーズ
世間で精がつくお菓子という噂が広がり、
テレビや雑誌で話題になったおかげで広告費が必要なくなった
精がつくお菓子の噂が広まったので、
それに便乗しようとパッケージも変更
当初は浜名湖をイメージしたブルーのパッケージだったが、
それを まむしドリンクのよう、精力がつくように赤に変更
●生地には実際に うなぎの粉が入っている
うなぎの骨や頭を水から煮て、
ダシをとったエキスを粉末にして小麦粉にブレンド
大量のバターを加えてミキサーで混ぜ合わせ、
わざとバターのムラを出し、
焼いた後のサクサク感が出るように職人が手で捏ねあげる
ローラーで薄く平らにし、職人が手で折り重ねていく
その層の数は約9000層
全長12mのオーブンで10分焼き上げ、
ニンニクを隠し味に入れた秘伝のタレを塗って完成

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