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ふぐの水揚高の1位は石川県、山口県は9位
たいして水揚高のない山口県の名物が、ふぐになったのか?
 
●ふぐが下関の名物になったのは、伊藤博文のおかげ
そもそも毒を持つふぐは、
400年前、豊臣秀吉の河豚食用禁止令によって食べることが禁じられてきた
明治20年、下関にある老舗旅館 春帆楼に
初代内閣総理大臣:伊藤博文が訪れる
女将は盛大にもてなそうとしたが、
海があいにくの大しけで漁に出られず、魚が用意できなかった
困り果てた女将は、禁じ手のふぐを振舞った
大いに気に入った伊藤博文は、「この魚は何だ?」と聞いた
「ふぐでございます」死罪も覚悟した女将だったが、
「なぜこんなに美味い魚を禁じてるんだ」
あまりの美味しさに感動した伊藤博文は、下関限定でふぐ食を解禁した
そのため下関には、ふぐを扱う店が次々と誕生
そして料理人や加工業者が集まり、下関はふぐの名所に

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幕末から明治にかけて激動の時代を支えた初代内閣総理大臣 伊藤博文
陰で囁かれていたあだ名が、ほうき
掃いて捨てるほどの女がいると揶揄されるほどの女好き
 
博文には、東京、大阪、広島と全国各地に愛人がおり、
広島の愛人に会いに行った時の事、帰りに宮島の茶屋に立ち寄った
茶屋の娘がお茶を運ぶと
「なんと美しい、この紅葉のような手を食べてしまいたい」とナンパ
 
この話は、すぐさま宮島中で話題となり、
噂を耳にした菓子職人が紅葉をかたどった饅頭を作ったことから、
広島名物「もみじ饅頭」が誕生した

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明治18年、当時45歳の伊藤博文には、
東京、大阪、広島と全国各地に何人もの愛人がいた
特に可愛がっていた愛人が、
自宅で大工として雇っていた田村半助の娘:喜勢子
喜勢子に麻布にあった豪邸を一見丸ごとプレゼント
当時のゴシップ誌 萬朝報が、
愛人の名前、豪邸の住所を掲載
 
「伊藤よ、女遊びはたしなめてはどうか」と明治天皇に忠告されても
「私は財産や豪邸などいりませぬ。ただ公務の間に芸者の相手をするのが何よりも好き
なのです」と開き直る始末
 
記事の影響か、喜勢子が病死
博文は、まず喜勢子の妹、次女のつね子を愛人にした
さらにつね子が亡くなると父親に莫大な金品を与えて、
三女で当時16歳の雪子にも愛人になるように要求した
 
萬朝報は、父親に金をちらつかせ、
美人姉妹を次々愛人にする総理と
報じたことで日本全国に知れ渡ることに
 
明治時代の民法では、既婚男性でも相手が
未婚であれば浮気してもOKだった。既婚女性の浮気はNGだった

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