国名」タグアーカイブ

●国の中国とは、現在の国名 中華人民共和国の略ではない
中国という言葉は、中華人民共和国ができるはるか昔、
紀元前の頃からあった言葉
それは、中華思想に由来している
紀元前2000年頃に誕生した最古の王朝 夏王朝
その後を継いだ殷、周…
それら王朝は黄河中流域の中原と呼ばれる平原に栄えた
その周辺勢力を蛮、戎、狄、夷などと呼び、
文化の劣った野蛮な人々だとして排除した
自ら文明を夏の中心と名乗り、中華と名付け、
のちに夏は、発音と意味が近かった華に置き換え、中華となった
中華思想とは、自らは文明の中心にいるという考え方
そして中心の国であるため、中国と呼ばれるようになった
 
●日本の地方名の中国は、国の中国と全く関係ない
日本の地方の中国は、平安時代頃から呼ばれるようになった
当時の政治の中心は、京都と太宰府
大宰府は、大陸や朝鮮半島と外交を行う場であり、九州全体を治める西の中心地
京都と太宰府の中間にある現在の岡山県東部、兵庫県西部、
島根県、香川県、徳島県あたりを中間の国、中国と呼ぶようになった
明治に入り、日本を8つの地方に分ける際に
中国地方を現在の山口県、広島県、鳥取県、島根県、岡山県を組み込んだ

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●日本の「にほん」と「にっぽん」の由来
日本と表記するようになったのは、飛鳥時代
当時の日本人は、「にほん」や
「にっぽん」ではなく「やまと」と呼んでいた
日本書紀には「日本と書いて これ 耶麻騰(やまと)と云う」と書かれている
平安時代になると中国との遣唐使による国交が盛んになる
当時の中国人は、「日本」という漢字を
「日」を「ニェット」、「本」を「プァン」と発音していた
「ニェットプァン」と呼ぶ中国人の発音を聞いた遣唐使が
日本に持ち込み、のちに「にっぽん」と転じるように
 
「にほん」という呼び方が広まったのは、江戸時代になってから
江戸時代の学者:本居宣長が
国名の由来についてまとめた書物「国号考」には、
“新たに にほんという”と記されており、
江戸時代は、「にほん」と呼ばれていた
●「にほん」は早口な江戸っ子によって生まれた
「にっぽん」を江戸っ子たちが
早口で話すうちに「にほん」に簡略化された
大坂を中心とする西の地域では「にっぽん」、
江戸を中心とする東の地域では「にほん」と呼ばれていた
なので大阪にある日本橋は「にっぽんばし」
東京にある日本橋は「にほんばし」と呼ばれている
 
●国の呼び方が2つある「にほん」「にっぽん」論争問題
1934年、岡田啓介内閣の時、国の呼び方を
「にっぽん」に統一しようと政府に提出されたが、
このときには、まとまらなかった
1970年、佐藤栄作内閣の時、大阪万博開催の前に
国の呼び名を再び「にっぽん」に統一しようと
国会で議論されたが、結論は出ず
2009年、麻生太郎内閣の時、「にほん」と「にっぽん」、
どちらか一歩に統一する必要はないと結論づけた

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