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福井県鯖江市は、メガネの街
国産メガネフレームの95%を生産している
●福井県鯖江市が、メガネの街となったワケ
 
豪雪地帯の鯖江は、12月から3月の間、農家には仕事がなく困り果てていた
明治時代の有力議員 増永五左ヱ門は、
メガネ作りの本場 大阪からメガネ職人を呼び寄せ、農家に作り方を学ばせた
雪国育ちで我慢強く、やることもない農家は、どんどん技術が上達
品質も向上し、鯖江にメガネ作りが根付いた
 
増永五左ヱ門がメガネに目を付けたのは、新聞が普及したから
当時、日本は日露戦争 真っ最中
戦況を知りたい庶民の間で新聞が一気に普及し、メガネの需要が急増した

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東京都大田区蒲田には、餃子をウリにしている店が20店舗もある
●蒲田が、餃子の街になったワケ
 
蒲田に初めて餃子店を開いたのは、1983年に開店した你好
創業者は、八木功
歓迎の店主は、八木功の妹
歓迎別館の店主は、八木功の姪
金春本館の店主は、八木功の弟
春香園の店主は、八木功の甥
春香園2号館の店主は、八木功の甥の息子
你好 恵馨閣の店主は、八木功の娘
 
20店舗中、12店舗の店主が、八木功の血縁者
八木功が日本で初めて考案した羽根付き餃子が大ヒット
その作り方を兄弟や親戚に伝授して店を増やしていったから

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山手線 池袋駅は、元々何もない鉄道を分岐する信号所だった
明治36年、町の発展により駅へ昇格した
 
●池袋の地名の由来は、袋のような丸い池がたくさんあったから
 
池袋村は、現在の池袋駅よりも北側にあり、袋の形をした池がたくさんあった
この辺りは、窪地だったため、水が沸き、
池が極めて多かったことから、そのまま地名となったと考えられている
 
ホテルメトロポリタンの前にある元池袋史跡公園に、
池袋の由来となったとされる池と川があった
昭和初期まで農業用水として利用されていたが、
都市開発により川は地下を流れる暗渠となっている

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●渡部さんの職業は、船渡しだった
飛鳥時代には、渡部さんがいたと言われている
現在の大阪、摂津国で船渡しをしていた人たちが、名乗った名字が渡部
部は、当時の職業を表す漢字
船渡しの職業を渡部と書き、(わたしのべ)と呼んでいた
次第に、わたしのべ→わたしなべ→わたなべと変化した
船渡しの職業だった人が、その後、名字として名乗るようになった
 
●渡辺は、元々名字ではなく地名だった
平安時代、現在の大阪あたりで船渡しの仕事をしていた渡部さんたちは、
職業柄 皮の近くの集落に住んでいた
そんな渡部さんが住む集落を渡部の辺りと呼んでいた
次第に渡部を辺りを略して、渡辺という地名で呼ぶようになった
 
平安時代中期になると渡辺の地を治めるため源綱が訪れる
渡辺を治ることになった源綱は、渡辺綱と姓を改めた
それまで地名だった渡辺を、名乗ったため最初の渡辺となった
 
当時、京の都の近くには鬼と呼ばれていた盗賊が悪さをしていた
鬼退治に呼ばれた渡辺綱は、見事に鬼を成敗した
この鬼退治伝説は、都周辺に広がった
渡辺綱の活躍が広まるにつれ、渡辺に姓を変える渡部さんが続出
 
その後、鎌倉時代になると船渡しをしていた渡辺さんは、
その技術が買われて各地の権力者に雇われるようになり、
全国に渡辺さんが広まった
 
●他に派生したワタナベの名字は、戸籍を登録するときに役人が書き間違えたモノ

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明治神宮の鳥居をくぐって5分ほど歩いたあたりに
竹の柵に囲われたモミの木がある
 
そこには高さ54m、幹の直径10.8mの巨大なモミの木が生えていた
そのモミの木に登ると江戸城を覗き見することができるため、
江戸幕府によって木登り禁止令が出されたほど
幕末には、この木に登って黒船を見ていた人がいた
それほど巨大なモミの木が、この地に代々生え続けていたことから、
この地を代々木と呼ばれるように
 
巨大なモミの木は、昭和20年5月の戦禍で焼失し、
その後、植え継いだのが、現在のモミの木

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●京都には道路しかない町がある
 
それは、京都市桑原町
京都御所と京都地方裁判所の間にある道路の一角
 
元々は、裁判所までが桑原町だったが、
裁判所ができたときに別の地名がついてしまい、道路だけ地名が残った
普通、道路しかなければ地名は、無くなるモノだが、
桑原町は「くわばら くわばら」の由来
 
「くわばら くわばら」とは落雷を避けるための呪文
桑原町には、昔 菅原道真が住んでおり、雷が落ちなかった
雷が落ちなかった恩恵が元となり、雷を避ける呪文とされた
そのため桑原町の地名を無くしてしまうのをためらい、道路しかない町となった

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●湯布院と由布院
 
「ゆふいん」という地名がつけられたのは、奈良時代
古くから楮と呼ばれる木がたくさんあり、
その皮から採れる「ゆふ」と呼ばれる繊維を使って布などを作っていた
米などを保管する院と呼ばれる蔵がいくつもあったことから、
「ゆふ院」と呼ばれるようになった
 
平安時代、古くから布を作っていたことから
物事の始まりを意味する「由」と「布」をあてられ「由布院」となった
 
大正時代、地元の有力者が由布院に
別荘を建てたことから次第に温泉街として有名になった
 
昭和30年、由布院町と隣村の湯平村が合併
湯平村の「湯」を由布院の「由」にあてて、「湯布院」が誕生した
昭和30年前に建てられた建物や施設は、由布院を使用している
さらに温泉の正式名称も、由布院を使用している

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