地名」タグアーカイブ

●東京 自由が丘の地名の由来は、自由ヶ丘学園
 
昭和2年、自由教育を掲げた教育者 手塚岸衛が、
自由ヶ丘学園の設立した
その碑は、Peacookの駐輪場にある
 
昭和4年、この地にあった九品仏前駅が
名称を変更することになった
当時、ここ地名は、衾村
通常なら新しくできる駅名は、衾駅になるはずだったが、
手塚の自由教育に賛同するヨーロッパ帰りの
文化人たちの訴えで、駅名が自由が丘駅に決定
昭和7年、地名も自由が丘に変更した

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東急田園都市線の用賀駅
●用賀の由来は、瞑想を意味する瑜伽
 
1578年、彦根藩 世田谷領の代官 飯田図書が、用賀真福寺を開基した
この真福寺には、ヨガの道場があったと言い伝えられている
 
今では、エクササイズとして親しまれているヨガだが、
元々はインド発祥で仏教の修行の
一つ「瞑想」を意味することを瑜伽と言い、
真福寺で瑜伽の修行が行われていたので、瑜伽山と呼ばれていた

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東京都葛飾区にあるJR常磐線の亀有駅
こちら葛飾区亀有公園前派出所のモデルになった町
町の至る所に両さんの銅像が建てられている
そんな亀有の地名に由来は、
●亀有の由来は、田園風景が亀の甲羅に似ていたから
 
江戸時代の文献によると亀有は、元々 亀梨で、
さらに室町時代の文献によると、亀梨は亀無だった
江戸時代に、無の言葉を嫌って梨にしたと記されている
さらに梨を嫌って有になった
 
低湿地地帯の亀有は、米をかけて干していた
藁を干した光景が、亀の甲羅の凹凸のように似ていたことから
亀がいないが亀を成す亀無となったという

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●小田急線 百合ヶ丘駅の名前の由来に、百合は関係ない
 
昭和24年、地元に駅が欲しいと地域住民の声を受け、
有力者が小田急電鉄に駅の建設を依頼した
その際に提示された条件が、安定した駅利用者の確保だった
 
地域の地主たちは私財を投じるなどして
昭和35年、県内初の近代的団地 百合丘団地を建設した
 
当時、駅を作るため土地の提供や開発に尽力した地主が128人
 
百人余りの地主が力を合わせてできた団地であることから
百合う丘、百合ヶ丘と名付けられた

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紀伊国坂、芋洗坂、魚藍坂、於多福坂、帯坂、など
東京都心の坂には、やたらと名前がついている
 
●東京都心の坂に、やたらと名前がついているワケ
江戸時代、寺社や大名屋敷、武家屋敷が多い場所には、
町名がなかった
そこで不便を感じた江戸庶民は、坂に名前を付けて目印とした
 
例えば、
紀伊国坂は、坂の西側に紀州徳川家の屋敷があった
弥之助坂は、池上弥之助さんの家の前だった
芋洗坂は、諸説あるが坂下の朝日稲荷の前で芋が売られていたため
帯坂は、番町皿屋敷で有名なお菊さんに由来。お菊さんが、この坂を髪を振り乱して、帯を引ずって走ったことから
於多福坂は、坂の傾斜がお多福面のようだったから
魚藍坂は、坂の中腹に魚籃寺が存在することから

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千葉県浦安市にある舞浜駅
東京ディズニーランドは、舞浜の面積の約6割を占める
1963年、浦安沖(現 舞浜)の埋め立てを開始
1975年に埋め立てが完了し、浦安市舞浜という地名がつけられた
 
●舞浜の名前の由来は、マイアミビーチではない
 
舞浜の名前の由来は、
アメリカのディズニーワールドがあるフロリダ州のマイアミビーチ
マイアミのマイを舞、ビーチを浜にして
舞浜が名付けられたと言われてきたが、
市の議事録によると神社の行事で巫女が披露する浦安の舞から
名付けられたことが分かった

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福井県鯖江市は、メガネの街
国産メガネフレームの95%を生産している
●福井県鯖江市が、メガネの街となったワケ
 
豪雪地帯の鯖江は、12月から3月の間、農家には仕事がなく困り果てていた
明治時代の有力議員 増永五左ヱ門は、
メガネ作りの本場 大阪からメガネ職人を呼び寄せ、農家に作り方を学ばせた
雪国育ちで我慢強く、やることもない農家は、どんどん技術が上達
品質も向上し、鯖江にメガネ作りが根付いた
 
増永五左ヱ門がメガネに目を付けたのは、新聞が普及したから
当時、日本は日露戦争 真っ最中
戦況を知りたい庶民の間で新聞が一気に普及し、メガネの需要が急増した

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東京都大田区蒲田には、餃子をウリにしている店が20店舗もある
●蒲田が、餃子の街になったワケ
 
蒲田に初めて餃子店を開いたのは、1983年に開店した你好
創業者は、八木功
歓迎の店主は、八木功の妹
歓迎別館の店主は、八木功の姪
金春本館の店主は、八木功の弟
春香園の店主は、八木功の甥
春香園2号館の店主は、八木功の甥の息子
你好 恵馨閣の店主は、八木功の娘
 
20店舗中、12店舗の店主が、八木功の血縁者
八木功が日本で初めて考案した羽根付き餃子が大ヒット
その作り方を兄弟や親戚に伝授して店を増やしていったから

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山手線 池袋駅は、元々何もない鉄道を分岐する信号所だった
明治36年、町の発展により駅へ昇格した
 
●池袋の地名の由来は、袋のような丸い池がたくさんあったから
 
池袋村は、現在の池袋駅よりも北側にあり、袋の形をした池がたくさんあった
この辺りは、窪地だったため、水が沸き、
池が極めて多かったことから、そのまま地名となったと考えられている
 
ホテルメトロポリタンの前にある元池袋史跡公園に、
池袋の由来となったとされる池と川があった
昭和初期まで農業用水として利用されていたが、
都市開発により川は地下を流れる暗渠となっている

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●渡部さんの職業は、船渡しだった
飛鳥時代には、渡部さんがいたと言われている
現在の大阪、摂津国で船渡しをしていた人たちが、名乗った名字が渡部
部は、当時の職業を表す漢字
船渡しの職業を渡部と書き、(わたしのべ)と呼んでいた
次第に、わたしのべ→わたしなべ→わたなべと変化した
船渡しの職業だった人が、その後、名字として名乗るようになった
 
●渡辺は、元々名字ではなく地名だった
平安時代、現在の大阪あたりで船渡しの仕事をしていた渡部さんたちは、
職業柄 皮の近くの集落に住んでいた
そんな渡部さんが住む集落を渡部の辺りと呼んでいた
次第に渡部を辺りを略して、渡辺という地名で呼ぶようになった
 
平安時代中期になると渡辺の地を治めるため源綱が訪れる
渡辺を治ることになった源綱は、渡辺綱と姓を改めた
それまで地名だった渡辺を、名乗ったため最初の渡辺となった
 
当時、京の都の近くには鬼と呼ばれていた盗賊が悪さをしていた
鬼退治に呼ばれた渡辺綱は、見事に鬼を成敗した
この鬼退治伝説は、都周辺に広がった
渡辺綱の活躍が広まるにつれ、渡辺に姓を変える渡部さんが続出
 
その後、鎌倉時代になると船渡しをしていた渡辺さんは、
その技術が買われて各地の権力者に雇われるようになり、
全国に渡辺さんが広まった
 
●他に派生したワタナベの名字は、戸籍を登録するときに役人が書き間違えたモノ

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