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日本で最初に駅伝が行われたのは、1917年
東海道駅伝徒歩競争
そのコースは、京都から東京までの516㎞
ひとチーム 延べ23人でタスキを繋いだ
この駅伝が誕生したきっかけは、明治天皇のお引越し
●駅伝は、明治天皇の東京引っ越しがきっかけで誕生
1868年、明治維新で東京を都として定めた
この時、明治天皇のお住まいも京都御所から江戸城へ移った
これを東京奠都といい、数千人とともに京都から東京まで向かい、
沿道の民衆へ金品を配るなど華々しく行われた
その東京奠都の50周年を記念して行われたのが、日本初の駅伝
関東組と関西組の東西対抗で京都をスタート
昼夜を問わず東海道を走り続け、
最終ランナーがゴールの不忍池に辿り着いたのは、2日後
ちなみに関東組のアンカーでゴールテープを切ったのが、
大河ドラマ いだてんのモデル金栗四三
この駅伝を元に3年後に作ったのが、第1回 箱根駅伝

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●和泉と書いて「和」を発音せず「いずみ」と読む理由
奈良時代 713年、第43代 元明天皇が二次佳名の詔という法律を発布
国の名前を二文字に統一しなさいという命令
国づくりの手本としていた中国の都市の名前が、
長安や洛陽など感じに文字の名であったため
もう一つ、二次佳名の詔には決まりごとがあった
縁起の良い字を一文字を使用すること
 
泉国の長は、平和な泉の国がいつまでも続くようにとの願いを込めて、
泉の前に「和」をつけて読みを変えずに「和泉」と国名を変えた
そして国名が変わったことで和泉国に住んでいた泉さんも和泉に名を変えた
泉国は、現在の現在の大阪府南西部にあった
関西地方には、泉、津、倭、木という一文字の国が点在していた
現在の兵庫県のあたりにあった津は、摂津という国名に
現在の奈良県にあった倭は、大和という国名に
現在の和歌山県あたりにあった木は、紀伊という国名に、それぞれ変更した
 
●漢字一文字の泉の苗字は、和泉とは関係がない
和泉の湧くところに住んでいた人が、泉と名乗っただけ

(1487)

●かつて天皇は、池に映った月でお月見をされていた
 
昔 天皇は、神の存在であったため
上を見上げることができなかった
そのため天皇は、月を見上げられなかった
 
平安時代、嵯峨天皇は、お月見をしたがったため、
わざわざ離宮である大覚寺に周囲1キロもの人工池を造った
その水面に映った月でお月見を楽しまれた

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●日本史上最恐の怨霊:崇徳天皇を祀る白峯神宮
その門には、皇族下馬下乗の立て札がある
皇族でも馬や輿を降りなければならない
祀っているのは、第75代 崇徳天皇
1156年、政権争いに敗れ、四国に流された崇徳天皇は、
死者の冥福を祈り、自らの血で写経し、
朝廷におさめようとしたのだが、
朝廷から破られた写経がつき返された
これに怒った崇徳天皇は、舌を噛みきり
「日本国の大魔縁になる」と言い残し亡くなったと伝えられている
その後、平家、源氏と続き、徳川まで政権が天皇家に帰ってこなかった
 
大政奉還で政権が帰ってくると、
明治天皇が最も心配したのは、崇徳天皇の呪いだった
そこで崇徳天皇の呪いを鎮めようと1868年に創設されたのが白峯神宮

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将棋には天皇が消滅させた幻の駒がある
 
その駒とは、酔象
成ると太子という駒になる
 
今の将棋は、王将を取れば勝ちになる
昔のルールでは、王将と酔象の
両方を取らないと勝ちとならなかった
 
1つの軍に2つの将がいるのはおかしい、
と当時の後奈良天皇(1496年~1557年)が酔象を消滅させた
 
王将は全ての方向に1つずつ進めるが、
酔象は真後ろだけいけない

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