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江戸川大学:斗鬼正一 教授によると
台所とお勝手は、今でこそ料理をする場所という意味で使われているが、元々、別の意味だった
 
●元々 台所は、料理を盛りつけする場所だった
日本では奈良時代から火を使って調理する場所を「くりや」と呼んでいた
そして中国から、調理をするという意味の「厨」という漢字が入ってきた時に、「くりや」に「厨」の漢字をあてた
平安時代の貴族の屋敷、厨(くりや)で作られた料理は、盛りつけをする台盤所に運んでいた
貴族が使っていた足つきのお膳を台盤と呼び、台盤を並べて盛りつけする場所を台盤所と呼ぶようになった
次第に、台盤所を略して、台所と呼ぶようになった
元々、台所とは、料理を盛りつける場所のことだった
そして台所を仕切る主人の妻のことを丁寧な意味になる「御」をつけて「御台所(みだいどころ)」と呼ぶようになった
室町時代になると厨から台所まで料理を運ぶ手間を省くため、同じ建物の中に造られるようになった
その場所全体を台所と呼ぶようになった
 
●元々 お勝手は、使用人が自由にできる台所のことだった
室町時代になると男性の権力がより強くなり、男社会が色濃くなった
使用人の女性は屋敷の中では自由にできない風潮になっていった
しかし台所だけは使用人の女性が食事をしたり談笑したり男の目を気にせず、唯一自由にできる場所だった
使用人の女性にとって台所は、勝手がきく場所だったため、丁寧語の「お」をつけて「お勝手」と呼ぶようになった
今でも台所にある小さな出入り口を勝手口と呼ぶが、使用人の女性たちが勝手に外に行き来できる出入り口だったので勝手口と呼ぶように

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●和泉と書いて「和」を発音せず「いずみ」と読む理由
奈良時代 713年、第43代 元明天皇が二次佳名の詔という法律を発布
国の名前を二文字に統一しなさいという命令
国づくりの手本としていた中国の都市の名前が、
長安や洛陽など感じに文字の名であったため
もう一つ、二次佳名の詔には決まりごとがあった
縁起の良い字を一文字を使用すること
 
泉国の長は、平和な泉の国がいつまでも続くようにとの願いを込めて、
泉の前に「和」をつけて読みを変えずに「和泉」と国名を変えた
そして国名が変わったことで和泉国に住んでいた泉さんも和泉に名を変えた
泉国は、現在の現在の大阪府南西部にあった
関西地方には、泉、津、倭、木という一文字の国が点在していた
現在の兵庫県のあたりにあった津は、摂津という国名に
現在の奈良県にあった倭は、大和という国名に
現在の和歌山県あたりにあった木は、紀伊という国名に、それぞれ変更した
 
●漢字一文字の泉の苗字は、和泉とは関係がない
和泉の湧くところに住んでいた人が、泉と名乗っただけ

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●湯布院と由布院
 
「ゆふいん」という地名がつけられたのは、奈良時代
古くから楮と呼ばれる木がたくさんあり、
その皮から採れる「ゆふ」と呼ばれる繊維を使って布などを作っていた
米などを保管する院と呼ばれる蔵がいくつもあったことから、
「ゆふ院」と呼ばれるようになった
 
平安時代、古くから布を作っていたことから
物事の始まりを意味する「由」と「布」をあてられ「由布院」となった
 
大正時代、地元の有力者が由布院に
別荘を建てたことから次第に温泉街として有名になった
 
昭和30年、由布院町と隣村の湯平村が合併
湯平村の「湯」を由布院の「由」にあてて、「湯布院」が誕生した
昭和30年前に建てられた建物や施設は、由布院を使用している
さらに温泉の正式名称も、由布院を使用している

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●成人式のルーツは、元服と裳着
 
そもそも成人式のルーツは、
奈良時代以降に行われた男性の元服、
女性の裳着と呼ばれる儀式
 
昔は12歳~16歳の間に成人を迎えたとされ、
美しく着飾って神社にお参りをしたと言われている
 
女性は振袖を着て、神社に向かったが、
より美しく、よりオシャレに見せるため
競うように着物の袖を長くした
 
そのため当初、約60㎝だった袖の長さが、
1mを超えるようになり、現在では1m15㎝が一般的になった

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●土用の丑の日の起源は、奈良時代
1200年前にその習慣を推奨したのが、大伴家持
万葉集に編まれた大伴家持の歌が
“石麻呂に吾物申す 夏痩せに良しといふ物ぞ 鰻漁り食せ”
石麻呂が夏痩せしていたので、
夏痩せに良いとされる鰻を獲って食べなさい、という歌
1200年前、鰻を夏に食べることを推奨した最古の人物
 
江戸時代に平賀源内が考案した説もある
商売がうまく行かない鰻屋が、夏に売れない鰻を何とか売るため源内の所に相談に行った。源内は、「本日丑の日」と書いて店先に貼ることを勧めた。
すると、その鰻屋は大変繁盛した。その後、他の鰻屋もそれを真似るようになり、土用の丑の日に鰻を食べる風習が定着したという説

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