寄生虫」タグアーカイブ

●第一子は、花粉症になりやすい
 
人間の免疫を司るリンパ球には、2種類ある
1つは細菌やウイルスに対するリンパ球
もう1つは、寄生虫や花粉に対するリンパ球
この寄生虫や花粉に対するリンパ球が過剰になると
アレルギー反応を起こしやすいと考えられている
 
生まれた直後は、2つのバランスが崩れており、
寄生虫や花粉に対するリンパ球の方が多い
色々な細菌やウイルスに触れることで
免疫細胞が活発になりバランスがとれる
 
小さい時に、細菌やウイルスに触れさせないと
生まれて直後のアレルギーに反応する細胞が
過剰にある状況が続き、後々、花粉症になる
第一子は、大人しかいない環境で細菌やウイルスが少ない
 
しかし第二子以降は、兄や姉が家の中に
細菌やウイルスを持ち込み、
小さいうちから細菌やウイルスを
取り込みながら成長することで、
免疫細胞のバランスが整い、
後々、過剰反応を起こしにくく花粉症になりにくい

(264)

スポンサード リンク
福岡では、サバを刺身や生のゴマサバなど生で食べる
しかしそれ以外の地域では、
サバを酢で〆たり焼かないと食べられない
サバを食べて食中毒を起こす主な原因は、
アニサキスという寄生虫
アニサキスは、どこで獲れたサバにもいる寄生虫
 
太平洋で獲れるサバに寄生するアニサキスは、
体内を自由に動き回るため身を食べると食中毒を起こす
 
しかし日本海側で獲れるサバの身には、
調べてみるとアニサキスがほとんどおらず、
内臓から移動しない別のアニサキスだと分かった
そのため福岡ではサバを生で食べることができる

(184)

手足が痩せ細り、腹水により腹部が大きく脹れ、
最終的に死に至る感染症
 
●原因究明
1881年(明治14年)、山梨県東山梨郡春日居村(現在の笛吹市)が
山梨県に嘆願書を提出
山梨県は、数名の医師を派遣、調査を開始した
しかし謎の病気の原因には辿り着かなった
1897年(明治30年)、ひとりの女性 杉山なかさんが、
この世を去る2日前に死亡解剖の嘆願書を提出
“この身を解剖し その病因を探求して 他日の資料に供せられることを得られるのなら
私は死して瞑目できましょう”
村を病気から救うため死んだ後、
解剖してほしいという願いだった
解剖した医師が見たのは、
謎の卵がびっしりと植え付けられていた肝臓
1904年(明治37年)、ようやく卵の親の正体を突き止めた
それは1㎝ほどの虫、日本住血吸虫と名付けられた
 
杉浦醫院(山梨県中巨摩郡昭和町西条新田850-15)では、
感染症の記録を保管している
 
●感染ルート
感染者の共通点は、米を作る農家や
川遊びをする子供たちに感染者が多かった
 
1913年(大正11年)寄生虫学者の宮入慶之助が、
ついに宿主を突き止めた
それは、ミヤイリガイと名付けられた巻貝
孵化したばかりの日本住血吸虫は、
哺乳類に寄生できないため、
ミヤイリガイの中で体を大きくする
哺乳類への寄生方法を突き止めるため、動物実験を行った
一方には水を飲ませ、もう一方には水に浸した
その結果、水を飲ませた方は感染せず、
水に浸した方は100%感染することが判明した
 
ミヤイリガイの中で成長した日本住血吸虫は、
水中で自由に泳ぎ回り、人間の皮膚を溶かして体内に入り込む
後は、卵を産み続け、卵が血流にのり、
内臓に至ると炎症でお腹を膨れさせる
 
●30年にわたる駆除活動
寄生虫の宿主であるミヤイリガイを
駆除するために、全ての水路をコンクリート化
この工事は、30年間続けられ、総工費は80億円以上
他にも火炎放射、石灰散布などミヤイリガイを駆除し続けた
 
そして調査開始から115年後、
1996年(平成8年)に終息宣言が出された
 
日本住血吸虫の感染症は、世界で
毎年5万人以上の死者を出している
撲滅できたのは、日本だけ

(144)

スポンサード リンク