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●味噌煮込みうどんが名古屋の名物になったのは、武田信玄と徳川家康のおかげ
 
徳川家康の地元 岡崎城近くの八丁村で作られていた八丁味噌を
家康はこよなく愛し、何にでも使って食べていた
 
武田信玄は、太い麺と野菜を煮込んだ山梨の名物ほうとうを陣中食としていた
 
信玄亡き後、武田家は滅び、その家臣たちは、
ほうとう作りの技と共に徳川家に仕えると
そのほうとうを家康が大好きな八丁味噌で
煮込んだことで味噌煮込みうどんが誕生した

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幕府が開かれたときの徳川家康の総資産は、
金だけで総量17トン以上、現代の金額で約765億円
全てを合わせると現在の金額で1兆円にも達する
 
この規模の財を築けたワケは、
・豊臣秀吉の金を丸ごと横領
・武田信玄が考えた貨幣の仕組みを模倣
当時 物々交換が主流だった商取引を変えるべく、
高品質の貨幣を造り、領内に広く流通させた
その結果、お金の量をコントロールすることができ、経済の安定を図った
家康は、信玄の貨幣の仕組みを模倣し、全国に生き渡らせた
 
さらに家康は金山、銀山を所有し、
年間16万両の所得があったと言われる
現在の金額で約480億円
 
徳川幕府を盤石なものにするため
尾張、紀伊、水戸の御三家に5:5:3の割合で金を振り分けた

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●偶然が重なった桔梗信玄餅の成功
明治22年に創業した和菓子店:桔梗屋本店
昭和43年に開発した「桔梗信玄餅」
今までにない風呂敷包みのパッケージで
山梨県を代表するお土産になった
1日10万個を生産し、売り切れるほどの人気
開発したのが、4代目社長:中丸眞治
その妻、中丸輝江が6代目社長を務めている
●桔梗信玄餅と武田信玄は全く関係がない
将来 山梨を代表するようなお土産になってほしい願い、
山梨県民が敬愛する武田信玄の名を拝借したという
●偶然が重なった成功
発売した昭和43年の翌年に、たまたまNHKの大河ドラマで
上杉謙信と武田信玄の戦いを描いた「天と地と」の放送があり、
空前の武田信玄ブームが起き、
それに伴い桔梗信玄餅の売上が増加
放送される前は、年商2000万円だったが、
放送後、年商が6000万円
さらにその翌年に年商1億2000万円に、
現在は年商60億円
●風呂敷のような包み方
本当は、ちゃんとした包装を機械で行いたかったが、
高い機械を買うお金がなく、仕方なく手作業で結んでいたという
現在も手作業で結んでいて、1日10万個を32人で包んでいる

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