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宮島の正式名称は、厳島
●厳島が宮島と呼ばれているワケ
厳島には、25もの神社がある
江戸時代にお宮のある島、宮島と呼ばれるようになり、
時代と共に、その通称の方が広まった
 
●厳島神社の社殿や鳥居が海に建てられたのは、島が 神の島だから
厳島には、神が斎(いつく)島という意味があり、
島に建物は恐れ多いと、海上に建てられた
そのため現在も厳島には、墓がない
かつては出産も認められていなかった
 
●宮島のお土産屋で、しゃもじが大量に売っているワケ
しゃもじの発祥は、宮島
江戸時代に修行僧が、産業がなかった宮島のために
弁財天の持つ琵琶に似たご神木を売り出したのが始まり

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東京 大田区にある新田神社
新田神社は鎌倉幕府を攻め滅ぼした新田義貞の次男:新田義興を祀っている
 
●新田大明神
 
南北朝時代、対立する足利方の謀略により
多摩川で無念の討ち死にを遂げた新田義興
その後、義興を討った者たちは次々とおかしな最期を遂げ、
事件のあった村付近では光る物体が現れ人々を惑わせたり、
落雷や火災などの災いが頻発
人々は、それらの凶事を新田義興の祟りと信じ、
その御霊を鎮めるために新田大明神として祀った
その宝物殿には、新田義貞と義興にまつわる品々を保管
 
●唸る狛犬
義興を死に追い込んだ足利家臣 畠山一族と
その血縁者が近づくと狛犬が唸ったという
 
●新田義興の遺骸を埋めた墳墓
その墳墓に入ると必ず祟られるという
 
●破魔矢
新田神社に参拝した平賀源内は、
境内の不思議な篠竹で厄除開運・邪気退散の「矢守(破魔矢の元祖)を作った

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毎年11月に酉の市が開催される新宿 花園神社
熊手を商う露天商や出店が多く立ち並ぶ
 
●ベイマックスは、花園神社の鈴がモデル
監督のドン・ホールが、リサーチのために新宿を散策
偶然訪れた花園神社で鈴を見て、
ベイマックスの顔のデザインを思いついた
映画の興行は大成功し、お礼参りで、新たに鈴を奉納した
 
ちなみに境内には、江戸時代から演劇などの興行に
縁が深かったことから芸能にまつわる芸能浅間神社がある
36年前に八代亜紀が奉納した碑がある

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●鳥居を赤く塗るのは、腐食を防ぐ意味もあった
鳥居の赤い成分には、水銀の化合物が含まれている
水銀の化合物(辰砂)には防腐作用があり、
それを塗ることで木が腐らないようにしている
 
他にも信仰的な理由で赤くしている鳥居もある
 
厳島神社の大鳥居が水に浸かっても腐りにくいのは、
赤い塗料の防腐効果だと言われている
 
●神社にイチョウの木が多いのは、火災から守るため
イチョウの木は、多くの水分を含んでいるため、
防火林の役割があるとも言われている

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●日本史上最恐の怨霊:崇徳天皇を祀る白峯神宮
その門には、皇族下馬下乗の立て札がある
皇族でも馬や輿を降りなければならない
祀っているのは、第75代 崇徳天皇
1156年、政権争いに敗れ、四国に流された崇徳天皇は、
死者の冥福を祈り、自らの血で写経し、
朝廷におさめようとしたのだが、
朝廷から破られた写経がつき返された
これに怒った崇徳天皇は、舌を噛みきり
「日本国の大魔縁になる」と言い残し亡くなったと伝えられている
その後、平家、源氏と続き、徳川まで政権が天皇家に帰ってこなかった
 
大政奉還で政権が帰ってくると、
明治天皇が最も心配したのは、崇徳天皇の呪いだった
そこで崇徳天皇の呪いを鎮めようと1868年に創設されたのが白峯神宮

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●京都誕生のきっかけとなった早良親王を祀る御霊神社
京都御所の北側に位置する御霊神社
江戸時代の観光書「都名所図会」では、
数ある観光地の中で京都御所に次いで二番目に記載されている
お祀りする神様は、桓武天皇の弟 早良親王
 
遷都した794年の少し前、京都市の隣 長岡市に都があったころ、
無実の罪を着せられ早良親王が亡くなった直後から、
大災害や疫病が流行し長岡京は荒れ果てた
すべては弟の怒り…そう考えた桓武天皇は、
都を現在の京都に移し、その際、何より先に造らせたのが、
早良親王の魂を強く鎮める御霊神社だった
 
日本には古来より、非業の死を遂げた人物を祀り、
負のパワーを鎮めることで後利益に変える信仰がある

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1661年に建てられた水舎門(赤門)を抜けると…
・250個以上もの灯篭が立ち並ぶ
石灯篭が209基、銅灯篭が48基、計267基
各地の大名が家康気に入られるために奉納した灯篭
唐門の脇にある6基の灯篭は、徳川御三家が奉納
 
・柵で仕切られた五重塔
これは旧東照宮の五重塔
明治政府の神仏分離令で寛永寺の所有となり、
現在は東京都に寄付され、上野公園の敷地内にある
 
・御神木:樹齢600年の楠
この辺りは、幕末の戊辰戦争でほぼ全ての建物が消失している
その後、さらに東京大空襲も
東照宮に落ちた焼夷弾が不発となり、東照宮だけは無傷だった
参拝者は、御神木の落ち葉が人気でお守りとして持ち帰っている
 
・左甚五郎作の龍の彫刻
唐門の両脇には、左甚五郎の龍の彫刻がある
上を向いているのが降り龍、下を向いているのが昇り龍
偉い人ほど首を垂れるという家康の教えが込められている
 
・黄金の社殿、家康の御神像がおさめられた本殿
江戸幕府の御用絵師:狩野探幽が描いた獅子が壁を彩る

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