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茶柱が立つと良いことが起きると言われているが、
●茶柱と縁起は、関係ない
 
日本茶普及協会 大森正司氏によると
茶柱は、静岡のお茶の商人が、
お茶の売れ残りを無くすために広めたと言われている
 
摘み立ての高級一番茶は、宣伝しなくても売れる
しかし茎が混じる二番茶や三番茶は、売れ行きが悪かった
そこで静岡のお茶商人が、売れ残りを無くそうと
「茶柱が立つのは吉兆」と触れ回ったのが、
茶柱が立つ=縁起が良いのきっかけ

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海苔も一緒に売るお茶屋は多い
●お茶屋がお茶だけでなく海苔も販売しているワケ
 
お茶の旬と海苔の旬が異なっているから
新茶のお茶が採れるのは4月~5月、その後、10月まで生産される
11月~12月に旬を迎える海苔は、
翌年の3月まで採れるため年間を通して利益が得られる
 
さらにお茶の保存条件は、日が当たらず涼しく湿気が少ない所
その保存条件と同じなのが、海苔だった

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欧米の侵略に対抗するため1855年、長崎海軍伝習所を創設
軍艦 咸臨丸の艦長として太平洋を横断
1868年3月14日、江戸城無血開城
西郷隆盛と会談し、新政府軍は江戸への攻撃を中止
総攻撃が始まる直前、江戸150万人の命が守られた
1868年、薩摩藩、長州藩が中心となった明治新政府が誕生
勝海舟も旧幕府の代表格として海軍卿などの要職を歴任するも、すぐに辞任
 
●静岡をお茶の大国にするきっかけを作った
徳川家最後の将軍 慶喜と共に静岡県の駿府に移住
100年以上もの間、放置された幕府が
所有していた広大な土地でお茶の栽培を始める
その静岡の牧之原台地は、水はけがよい弱酸性の土質で
温暖な気候が茶の栽培に適していた
以前から勝は農業の知識を商人から学んでおり、
この土地がお茶栽培に適していると見抜いた
このころ江戸幕府が無くなったことで
徳川家に尽くしてきた多くの家臣たちが職を失っていた
そこで勝は、そんな彼らを静岡に呼び寄せ、
仕事を与えることで安定した生活を保証しようとした
 
●新潟で日本最古のワイン醸造所を創設
当時から米作が行われていた新潟では、
度重なる豪雪や洪水などでまともに収穫できない時が多かった
北方村の大地主:川上善兵衛は、そんな厳しい状況を勝に相談した
勝は、痩せた土地でも栽培できる葡萄でワインを作ることを勧めた
勝の助言をもとに善兵衛が新潟に開いたのが、岩の原葡萄園
そこには現存する日本最古のワイン醸造所の石倉が残っている

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