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西ベルリンを取り囲んでいた壁の長さは、約155㎞
●たった一晩で築かれたベルリンの壁
 
第二次世界大戦後、ベルリンは、西側諸国が支配する西ベルリンと
ソ連が支配する東ベルリンに分けられた
ドイツは東西に分けられていて、ベルリンは東ドイツの真ん中にあり、
西ベルリンは東側に囲まれた飛び地だった
 
その1つのベルリンには大きな経済格差が生まれた
東ベルリンは暗くて古臭く食料の配給制度が残るほど貧しかったが、
西ベルリンは高級車が走り、ナイトクラブもある豊かな街だった
貧しかった東ベルリンの人たちは、西ベルリンの華やかな生活に憧れていた
当時、東西のベルリンは、道路も通じ、
電車も往来していたため、亡命する人が後を絶たなかった
その数は、終戦から1961年までで約350万人、
東ドイツの全人口の約20%に及ぶ
 
強い危機感を募らせた東ドイツ政府は、
亡命を食い止めるためにベルリンの壁を計画
壁を建てるのは1961年8月13日(日)午前0時
西側にも東側にも築かれないように一晩で作り上げる計画だった
指揮したのは、東ドイツ共産党幹部:エーリッヒ・ホーネッカー
8月12日(土)午後8時、東ベルリンの警察本部に
政治家、警察幹部など20名が呼び出された
現れたホーネッカーによって、命令書が配られる
みな呼び出された理由を初めて知ることになる
工場で働いている民兵も寝ているのを叩き起こされ総動員
命令書の最後には、朝6時までに全てを終わらせること、と書かれていた
 
午前0時、ベルリンの壁の建設が始まった
まず様々な場所に隠してあった資材を運び出す
地面をならしコンクリートの柱を建て、有刺鉄線を張り巡らした
150㎞分の有刺鉄線は、物資の豊富な西ベルリンの会社から
農場の鉄柵に使うと言って購入し、蓄えていたものだった
午前6時、予定通り、ベルリンの壁はわずか6時間が完成した
壁ができた後、東西のベルリンは行き来ができなくなった
常に東側の兵士が見張り、国境を越え西側に行こうとする者には、
容赦なく発砲した
 
これに対し、アメリカのケネディ大統領は、対抗処置をしない判断を下す
その後、有刺鉄線だった壁は、ブロックの壁に代わり長い間立ちふさがり続けた
 
1989年11月9日、ベルリンの壁が崩壊

(1742)

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