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1970年、大阪万博で披露された岡本太郎の太陽の塔
●太陽の塔には、幼少期バージョンがある
 
その幼少期バージョンは、愛知県にある日本モンキーパークにある
看板には、“ひろびろとした丘の上に“若い太陽”が生まれる 日に日に新しく生まれ変わる われわれの生命の象徴 金色に輝く顔はおおらかにバイタリティを放射する 赤 青 緑の粧いは濃い青春の彩りである 岡本太郎”と書かれている
正式名称は、若い太陽の塔
1969年に完成した
大きさは26m
1年後に大阪万博で披露された太陽の塔は、70m

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●上野公園の不忍池は昔、競馬場だった
馬が走るコースが、現在の池の周りの道
明治17年、第1回のレースが開催された
出場者は、武者姿
ギャンブルではなく市民の娯楽として人気を博した
コース沿いには、馬見所という観客席が設けられていた
上野公園は、最新西洋文化を
お披露目するイベント会場としての顔を持っていた
明治40年には、万博も開かれ、
ウォータースライダーが設置されたこともあった
 
●浅草の雷門は昔、凱旋門だった
かつてナポレオンがロシアとの戦いに勝利した時、パリに建てた凱旋門
それに習い、1905年、日露戦争の勝利を記念して浅草に凱旋門を建てた
当時 戦争に強い国を目指していた日本は、
浅草だけでなく日本中に凱旋門を建設した

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アルファベットのLとVを重ねたモノと
星と花柄のモノグラムでお馴染みのルイ・ヴィトン
 
1867年に開催されたパリ万博で、
日本の芸術や美術が欧米人に影響を与えた
 
パリ万博前にルイ・ヴィトンが出したダミエも
日本の市松模様を模していたが、簡単に偽造されてしまう
 
偽造を防ぐために様々な模様を探していたところ、
パリ万博で見た薩摩 島津の家紋をヒントにモノグラムを作った

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