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●女癖が悪すぎた勝海舟
23歳で売れっ子芸者だった2歳年上の民と結婚
その後、幕府内で出世し、お金の回りが良くなってくると女遊びをするように
勝が長崎の愛人に贈った和歌が残っている
“鶴が生涯 つがいで過ごすように 私も一生 あなたと添い遂げたい”
朝帰りする勝を自宅で待つ民は、一切 文句を言うことはなかったという
しかし結婚から10年経ったある日、
勝家で働く女中の増田糸と小西かねとの間に授かった子供を預かることに
民との子供4人、愛人2人とその子供2人が一つ屋根の下に住むこととなった
民は、自分の子供も愛人の子供も平等に接した
勝の女癖は、晩年になっても治らず、
さらに他の愛人との間に3人の子供をもうけた
 
●勝海舟の最期と妻の遺言
1899年1月19日、勝は突然 激しい頭痛に襲われた
気付けに生姜湯を持ってきてくれ、と女中で愛人の増田糸にお願いした
しかし生姜が見つからず、ブランデーを飲ませた
この2日後、脳出血により76歳で死去
 
その6年後、1905年、勝を献身的に支えてきた妻:民が最期を迎えようとしていた
死の直前、「一つだけ頼みがあるの…頼むから私の骨は勝のお墓に入れないで」と娘に要望
遺言は守られ、勝の墓がある洗足池のお墓ではなく、青山墓地に葬られた
その後、民のお墓は、勝の墓の隣に移されてしまった

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