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うなぎ屋などでランク分けす際に使われる松竹梅
一般的には、松が特上、竹が上、梅が並の意味を表すが、
●本来、松竹梅にはランクの違いはない
 
歳寒三友という言葉がある
冬の松竹梅が描かれた画題
松は冬でも枯れない、竹は冬でも伸びる、梅は冬でも花を咲かせる
元々は中国の思想家たちの中で、清らかに生きる姿を表す象徴だった
 
●松竹梅は寿司屋の気遣いからランクの違いを表すようになった
もともと寿司は、特上、上、並でランクを分類していた
日本人の習性として並とは言いづらい
並と言いづらい人のために特上、上、並を松竹梅に置き換えた
いつしか松竹梅にランクがあるかのように広まった

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●寿司屋の湯飲みが大きいワケ
 
江戸時代に誕生した寿司屋
当時は、小さな湯飲みでお茶を出していた
寿司は、庶民に大人気で常に満員
当時の寿司屋は、調理から接客まで店主一人で
切り盛りしていたため、お茶のおかわりもかなりの負担だった
そこでお茶のおかわりを何度も頼まれないように大きい湯飲みに変えた
 
大きな湯飲みに変えたことで、
客は汚れた手をお茶で洗うようになり、
濡れた手をのれんで拭いて帰った
そのため昔は、のれんが汚れているほど繁盛している美味しい寿司屋の証だった

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●バッテラは元々サバではなくコノシロを使った寿司だった
江戸時代にサバ寿司が誕生して100年以上経った明治24年
そのきっかけが、大阪湾で大量に獲れたコノシロ
コノシロとは、コハダが大きく育った出世魚
コノシロが大量に獲れ過ぎてしまい困った漁師は、
寿司常という寿司屋に買ってもらえないか、頼んだ
寿司常の店主は、酢でしめたコノシロの上に酢飯をのせ、
布巾で一つ一つ巻いて形を整え、コノシロの姿寿司を作った
この寿司が美味しいと評判となり、注文が殺到
一つ一つ巻いていると時間がかかってしまう
悩んだ店主は、コノシロの形に合わせた木型を作り、
コノシロと酢飯を入れて上から押して作ることを思いつく
 
●バッテラは、ポルトガル語
バッテーラは、ポルトガル語で小舟という意味
コノシロ寿司は、小舟のような形をしていたことから
バッテーラと呼ばれ、その後バッテラと呼ばれるようになった
 
バッテラを販売して、すぐにコノシロが獲れなくなり、
値段が上がったためサバで代用するようになった

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和食は大抵、箸を使って食べるのが当たり前
しかし寿司は、手づかみで食べるのが、ツウと言われている
 
●寿司を手づかみで食べるようになったワケ
江戸時代、屋台寿司が大流行
当時の寿司は、おにぎりくらい大きかった
そのため箸で持ちづらく、手づかみで食べざる得なかった
その手づかみで食べる習慣が、現代にも残ったという
 
当時の江戸は、建設ラッシュで全国から労働者が集まっていた
ゆっくり昼食をとってられず、サクッと食べられる寿司が人気に
彼らに来てもらうために寿司は、大きくなった
大きい寿司は人気となり、女性や子供も食べるように
その時にどうしても食べづらいということで、
大きい寿司を半分に切って出すようになった
現在、2貫ずつ提供される寿司は、この名残り
 
●江戸時代の酢飯
現在の寿司には、透明な米酢が使われているが、
江戸時代では酒粕からできた茶褐色の粕酢を使用していた

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1923年、関東大震災で職を失った東京の寿司職人が、
大阪に移ったことをきっかけに大阪にも寿司文化が広まった
 
●回転寿司は、職人を辞めさせないために開発された
 
日本で初めて回転寿司を導入したのは、元祖 廻る元禄寿司
立ち食い寿司を始めた元禄寿司は、人気店となり繁盛した
あまりにも繁盛すると忙しさから職人が腱鞘炎になり、みな辞めていく
職人が楽に働けるように回転寿司が誕生した
回転寿司の仕組みは、ビール工場のベルトコンベアを見て閃いた
その閃きから実用化までには10年もかかり、
 
1958年、回転寿司1号店をオープンさせた
東京に回転寿司が開店したのは、大阪より20年後だった
回転寿司のベルトコンベアーに特許があったため

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回転寿司のイクラの軍艦には、キュウリが乗っている
 
●イクラの軍艦にキュウリが乗っている理由
 
それはイクラの量を減らすためではなく醤油を上手くつけるため
今ではワンプッシュ式の醤油さしがあるが、
昔は、上に乗ったイクラに醤油をつけようとすると
イクラがこぼれてしまい、
シャリに醤油をつけるしかなかった
 
そんなときにキュウリを外して醬油につけて
再び軍艦の上に戻すことでイクラの軍艦を適量の醤油で食べられる

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●鮨と寿司の違い
鮨は、元々魚を発酵させたもの
寿司は、現在の江戸前寿司と同じで酢飯の上に魚の切り身を乗せたもの
 
最初に使われたのは、鮨
鮨は中国から伝わった文字
紀元前500年頃、魚を塩で発酵させた食べ物を
鮨や鮓の2つの文字で表していた
その魚を発酵させた食べ物は、
奈良時代 鮨(し)や鮓(さ)として中国から日本に伝わった
鮨(し)や鮓(さ)は、現在の鮒ずしに近い
魚を発酵させた食べ物は、酸っぱかった
当時の日本人は、酸っぱい物を酸し(すし)と言っていたため、
 
魚を発酵させた食べ物を「すし」と呼ぶようになった
魚を発酵させた鮨は、作るのに2年以上かかる
もっと早く同じようなものはできないかと考え、
江戸時代に誕生したのが、押し寿司
魚を酢でしめることで発酵させた鮨と同じような味わいになる
しかも短時間で作れた
さらに江戸時代後期になると酢飯の上に
魚の切身を乗せた現在の江戸前寿司が誕生
その時、江戸っ子が、縁起の良い「寿」と「司」を鮨の字に当てた

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五目寿司は、江戸時代初期に備前岡山藩 藩主 池田光政が、
一汁一菜令を出したのが、始まり
それは、食事は一食につき白米などの主食、
汁物一品、おかず一品にしなければならないという倹約令
しかし満足できな庶民は、煮椎茸、かんぴょう、ニンジンを
目立たないように刻んでご飯に混ぜて食べるように
それが岡山名物 ばら寿司となる
その後、全国に広がり、いろんな具材を酢飯に混ぜ、
たくさんという意味の五目寿司と呼ばれるようになった
 
ちらし寿司は、江戸時代後期に寿司屋の職人が
魚の切れ端や使わない部分を酢飯の上に乗せて、
まかないとして食べたのが始まり

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●ネギトロは葱もトロも関係ない
 
ネギトロのネギはネギのことではない
ネギトロのトロもマグロのトロのことではない
 
そもそもネギトロは、捨ててしまうマグロの中落ちを使い、
寿司職人のまかないとして誕生した
 
身を骨の周りから削り取ることを「ねぎ取る」と呼んでいた
ネギトロの由来は、「ねぎ取る」
 
元々建築用語で地面より下を掘ることを「根切り」と呼んでいた

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戦後、日本は大変な食糧不足で配給制になった
さらに1947年にGHQが一括管理し、
配給された外食券が使える食堂や旅館、
喫茶店以外の飲食店を全て営業停止にした
 
その中で寿司屋も営業停止になった時期があった
 
GHQの統制に逆らって営業できないので寿司屋は、
米を持って来れば加工します、鮨の委託加工として営業を続けた
 
●カッパ巻きは、戦後の食糧難の中に誕生した
そのころ、明治元年創業の早稲田 八幡鮨の安井さんは、
その辺にあったキュウリを鉄火やかんぴょうの代わりに巻いてみた
発案したのは、カッパ巻き
カッパ巻きは、戦後の苦境の中で生まれた

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