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●ソメイヨシノは、種ではなく接ぎ木で増やす
接ぎ木の工程は、
1、土台になる枝木に、切れ目を入れる
2、その切れ目に鉛筆のように削ったソメイヨシノを差し込む
3、ビニール紐でグルグルと巻いて固定
4、水分が抜けないように切り口にロウを塗る
5、その枝木を土に刺すだけ
 
接ぎ木で出来るのは、元の木と同じ特徴をそのまま受け継ぐ、いわば分身
種から育てられないソメイヨシノは、遺伝子的に同じ特徴の木が全国に広がっている
 
種から育った桜は、個体差があり、咲くのも散るのもバラバラだが、
クローンのように生産されたソメイヨシノは、
同じ気候条件であれば一斉に咲き、一斉に散る

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日本には、100種類以上の桜が存在しているのに、
桜の名所は、ほとんどがソメイヨシノばかり
●日本の桜は、ソメイヨシノばかりなのか?
ソメイヨシノは、江戸の染井村(東京都豊島区駒込地域)が発祥の地
 
江戸時代は、現在より桜の品種改良が盛んだった
参勤交代で自国に変えられない大名が、自国の桜を江戸に持ってきた
そのため江戸には、数多くの桜の品種が集まった
 
染井村は、植木職人の村
その中で腕利きとして名を馳せていた植木師 伊藤伊兵衛が、
エドヒガンとオオシマザクラをかけ合わせて、ソメイヨシノを作りあげた
江戸時代に一般的だったヤマザクラは、葉が出た後に花が咲く
先に花が咲くエドヒガンと花が大きいオオシマザクラをかけあわせ、
大きな花が葉より先に咲くソメイヨシノを作った
 
●ソメイヨシノは、圧倒的に成長が早いから
他の品種が花盛りまで15年かかるところ、ソメイヨシノは10年
この圧倒的な成長の早さが理由で、戦後、焼け野原になった日本を
満開の花で元気にする復興のシンボルとして各地に植えられたから

(163)

桜を見に行くことを花見という
なのに、紅葉を見に行くことを「もみじ狩り」という
元々、桜を見に行くことも「桜狩り」と言っていた
 
●植物を見て楽しむことを、なぜ○○狩りがつくのか?
もみじ狩りや桜狩りは、平安時代に誕生した言葉
○○狩りとは、いのしし狩りやきのこ狩りのように
山に入って何かをとってくるという意味
平安時代の貴族は、桜が咲いた枝や紅葉したもみじの枝を
折って持って帰ってきて鑑賞したり、
かんざしや着物の帯にさしてオシャレとして楽しんでいた
山に入って桜やもみじの枝を折って採ってきていたことから
もみじ狩り、桜狩りと呼ばれていた
 
●桜狩りが消えたワケ
平安時代初期、貴族の間では春になると
山に桜の枝を採りに行く桜狩りが流行
しかし御所に住んでいた仁明天皇は、安全上、桜狩りに行けず、
貴族たちが山で採ってきた桜の枝を御所で見ることしかできなかった
834年、仁明天皇は清水寺へ出かけた際に
近くの山に生えている桜の木を初めて目にする
初めて見た桜の木に感動した仁明天皇は、
御所の庭に植えていた梅の木を全て抜き、
山から持ってきた桜の木に植え替えさせた
そして貴族たちも仁明天皇を真似て桜を庭に植えるように
自宅の庭で桜が見られるようになったので、
桜を見るためにわざわざ山に入って桜狩りをする必要がなくなった
そのため桜狩りという言葉も徐々に使われなくなり、今では花見という言葉だけ残った
紅葉は、たくさんの木が色づく美しさが魅力のため、
山に紅葉を見に行く「もみじ狩り」の習慣は残った

(185)

花見は、奈良時代の貴族から始まった
当時の花見は、桜ではなく梅
奈良時代、中国に遣唐使が派遣された頃、
中国の貴族は、梅の花見をしていたおり、
梅の花見の文化は、そのまま日本に伝わった
山に生えていた梅の木を屋敷の庭に植えて花見をするようになった
 
平安時代 811年、貴族の間で梅の花見が大流行していた
桜の花見を最初に始めたのは、嵯峨天皇
当時、天皇は住んでいる京都御所から出ることは滅多になかったため、
嵯峨天皇は久しぶりの外出をとても楽しみにしていた
御所車に乗っていた嵯峨天皇の目に、
京都にある地主神社に咲いていた満開の桜が飛び込んできた
桜の美しさに感動した嵯峨天皇は、梅ではなく桜で花見をすることに
翌年の812年、地主神社の桜の枝を京都御所に持ってこさせ、
日本で初めて桜で花見をした
その後、嵯峨天皇の息子 仁明天皇によって
京都御所の梅の木を桜の木に植え替え、桜の花見の文化が定着していった

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●アーモンドの木は、バラ科サクラ属で桜の仲間
 
主な原産地は、アメリカ カルフォルニア州
春先には桜そっくりの花を咲かせる
花が散った後に実がつき、
実の種の中身がアーモンドとなる
 
収穫は、シェイカーと呼ばれるマシンで
木を揺らし、豪快に実を落とす
一本の木から約7000粒のアーモンドがとれる

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