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創建778年とされる京都の清水寺
●京都の清水寺は、400年後に向けて植林をしている
 
現在の舞台は、1629年の火災の後、
1633年、徳川家光の寄進により再建された
舞台に使用されるケヤキ材は、
非常に耐久性が高く、平均寿命が800年
しかし木材文化の衰退が著しい日本では、
 
1633年から800年後、舞台を造り直すのに
必要量のケヤキ材の入手は困難と予想できる
 
ケヤキ材が寿命を迎える400年後を見据えて、
譲り受けた山で6000本のケヤキを植林した

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●清水の舞台から飛び降りるは、実際に236人が飛んだから生まれたことわざ
清水寺の高さは、約13m、マンション4階分に相当する
近年、清水寺の蔵から成就院日記(清水寺で働いていた人の業務日誌)全221巻(1694
年からの141年分)が発見された
この成就院日記に236人が飛び降りたことが書かれている
そこには飛び降りた理由も書かれている
例えば、眼病を治したい、母の病気を治したい、自由な時間が欲しい、など
飛び降りた人たちの生存率は、意外と高く84%
当時 舞台の下の土が柔らかかったためだと言われている
 
清水の舞台から飛び降りるとは、命を落とす危険のある命懸けの願掛けだった
願いを叶えるために思い切った行動を起こす、が転じて
強い決意で物事に取り組む、という意味になったと言われている
 
●最初に飛び降りたのは、今昔物語に書かれている検非違使の忠明
昔 京都の街は、警察官の役目となる検非違使が警護していた
その中に清水寺を周辺を警護している忠明(ただあきら)という男がいた
ある日、忠明が見回りをしていると神聖な清水の舞台でたむろする不審者を目撃
「おい!お前たち何をやっているんだ!」
すると不審者たちは刀を抜いて抵抗
追い詰められていく忠明は、本堂の板張りの扉を強引に外した
死を覚悟した忠明は、願いを込めて「お助け下さい!観音様!」と叫んだ
次の瞬間、忠明は戸板を抱えたまま、舞台を端まで行き、飛び降りた
戸板が空気抵抗を生み、無事に着地、不審者たちから逃げ切ることができた
この一連の話から、清水寺の観音様に願い事をすれば叶うとされ、ことわざが生まれた

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