渋沢栄一」タグアーカイブ

岐阜県の地方銀行 十六銀行
宮城県の地方銀行 七十七銀行
香川県の地方銀行 百十四銀行
これら番号のついた銀行をナンバー銀行という
 
●銀行名に漢数字がついているワケ
これらの数字は、その銀行ができた順番を示している
江戸時代は、統一した貨幣制度がなかった
なのでお金もバラバラ、藩によって様々な金融機関があった
バラバラだった金融の仕組みを統一するため、
明治政府は、1872年、国立銀行条例により設立順に番号が割り振った
 
日本で最初にできた銀行が、渋沢栄一がつくった第一国立銀行
現在のみずほ銀行
他にも第二国立銀行は、鎌倉銀行などと合併した横浜銀行に
第三十四国立銀行は、三菱UFJ銀行
第三十八国立銀行は、三井住友銀行
第八十五国立銀行は、りそな銀行に
最終的に国立銀行条例で作られた銀行は、153もできた
当時の番号を現在も引き継いでいるのを、ナンバー銀行という
 
ちなみに長野県の地方銀行 八十二銀行は、
第十九国立銀行と第六十三銀行が合併して八十二銀行と名乗った

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渋沢栄一は、現在のみずほ銀行である第一国立銀行をはじめ、
りそな銀行、東京ガス、キリンビール、日本郵船、帝国ホテル、
東京急行電鉄、王子ホールディングスなど生涯約500の企業設立に貢献
日本資本主義の父と言われている
 
●論語と算盤
古代中国に起こった孔子の思想に基づく儒教は、
神への信仰ではなく人としてのあり方を唱えた
孔子と彼の高弟の言行を孔子の死後、弟子達が記録した書物が論語
渋沢は、算盤を持ちながらも片方の手には論語を持ち、
人の道を外れないようにビジネスを行うことを説いた
 
●年老いても精力旺盛
明治41年(1908年)、渋沢は、自宅近くに愛人を囲い、
68歳にして愛人との間に子供が産まれた
「いやぁ、お恥ずかしい。若気の至りで、つい…」と言葉を残している
 
●愛人宅で居留守
明治31年(1898年)、現サッポロビールの札幌麦酒株式会社の
専務取締役:植村澄三郎は、社内のトラブルに直面していた
取締役会長である渋沢にどうしても連絡をとる必要があり、
渋沢を探したのだが、居所がつかめない
そこで植村が勘を働かせ向かったのが、日本橋にある渋沢の愛人宅
「会社が大変なんです!渋沢会長は来ていませんか?」
すると奥から渋沢本人としか思えない声が聞こえてきた
「かようなところに渋沢のおるべき道理はありません。御用がおありなら明朝 宅の方をおたずねください、と申し上げなさい」
 
●静岡茶の発展
渋沢は、元々江戸幕府に仕えていた幕臣
1867年、大政奉還後、15代将軍 徳川慶喜は、駿府(静岡)に蟄居した
付き従った幕臣たちは、勝海舟の勧めで牧之原台地の辺りでお茶作りを始めた
1869年、渋沢は、茶農家に資金援助する銀行と商社の機能を併せ持った静岡商法会所を設立
資金繰りが苦しかった茶農家に貸し付けを行い、静岡茶発展の礎を築いた

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