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1883年(明治16年)、原は27歳の時、
13歳年下ので当時14歳の貞子と結婚
貞子の父親は、明治の怪傑、奇人、滑稽家、
鹿鳴館の名付け親でもある政治家の中井弘
新聞社を辞めたばかりで外務省で働き始めた原は、
政治家になる足がかりとして結婚した
しかし貞子は、家事は一切できないばかりか、原を困らせてばかり
貞子の悪妻ぶりは、年々エスカレート
結婚から17年、貞子が31歳の時、原は念願の政界進出を果たす
貞子は、原が何も言わないのを良いことに、
一人温泉旅行に出かけるなど勝手気ままな生活を送り続けた
さらに自宅に出入りする男と不倫までする始末
 
1905年(明治38年)、三浦に保養に行きたいとの
貞子の突然の申し出に原は快諾
この保養は、貞子が不倫相手との子供を出産するためだった
この時、貞子は妊娠5か月
お腹が目立つ前に長期の保養をとった
 
22年もの間、奔放な妻を我慢し続けてきた原は、離縁状を送りつけた
しかし原は、貞子が亡くなるまで貞子と不倫相手の子供を金銭的に面倒を見続けた

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