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1923年、文芸春秋社を創設し、その後、直木賞、芥川賞を制定した
菊池は顔が良いわけではないのに、俺は女も食欲と同じで食い足りてくれば捨てるばかりと思っている、と豪語する超遊び人
妻や娘も暮らす自宅に愛人を住まわせるほど相当な女好きと知られていた
 
●マント事件
1913年(大正2年)東京大学教養学部の前身にあたる第一高等学校の学生だった
このころ、特に親しかったのが、秀才でイケメンの佐野文夫
菊池は、学生時代、佐野に特別な想いを抱いていたという
ある日、女性とデートすることになった佐野は、
超エリートの象徴である学校指定のマントを羽織った
佐野は貧しさから、自分のマントはとっくに質に入れていたが、
デートで格好をつけるためマントを窃盗してきた
「あれ、お前マントは質に入れたんじゃなかったか?」と菊池が聞くと
「同郷の学生から借りてきた」と佐野は嘘をついた
 
デートで使って返しておけばよかったが、佐野は菊池に命じてさらに質屋に入れた
しかし盗まれた被害者が盗難届を出していた
窃盗事件として調べ上げられ、警察から問い詰められた菊池は、佐野を庇った
そのまま身代わり退学となり、菊池は第一高等学校を去る結果となった

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