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●そもそも日本は鎖国をしていなかった
鎖国をしていたと言われる17世紀から19世紀半、
日本は海外との交流を断っていたわけではなかった
幕府は長崎をはじめ、対馬、薩摩、松前で外交窓口を開き、
長崎でオランダ、対馬で中国、薩摩で琉球、松前でアイヌと貿易を行っていた
 
さらにペリーが来航し、開国を求めたアメリカとは、オランダを通じて貿易していた
日本からは金や銀を輸出し、アメリカからは毛皮などを
輸入していたことが明らかになっている
 
江戸幕府の後、政権を担った明治政府は、
急速に近代化を進めるため諸外国の文化を取り入れた
文明開化の時代、その成果を強調するために、
江戸幕府は外国の文化を入れず鎖国をしてきたと教えてきた
昨今の研究で諸外国と交流をしていたことが判明
●そもそも鎖国をしていた時代に鎖国という言葉は使っていなかった
ドイツ人のケンペルが日本の応益などについて書いた論文「日本誌」を
日本人が翻訳した時、本文にあった“今日のように日本国を閉鎖して その国民が国内においても国外においても…”の国と鎖を抜き出して、鎖国という言葉が創作された
 
黒船の武力を誇示して日本に開国を求めたと言われているアメリカ海軍のマシュー・ペリー
●黒船ペリーが来航した本当の理由
事実は、ペリーは、開国ではなく、開港を迫った
その理由は、捕鯨船の水や石炭の供給のため
ペリーが来航する少し前、日本の太平洋側は鯨が大量に生息しており、
良い漁場となっており、アメリカの捕鯨船が日本近海でたくさん操業していた
その安全を確保するために日本に開港を迫った
当時、鯨からとれる鯨油は、ランプなどの燃料として世界中で使われていた

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