新橋がサラリーマンの街になったワケ 2018年4月28日 コメントを残す 1872年、鉄道が開業して新橋駅が造られた 駅前には3匹の子狸が暮らしていた 鉄道員は小屋を造り、可愛がった しかし狸が大きくなると何処かに巣立っていった すると残った小屋に仕事帰りの人間が集まり、 そこで酒を飲むようになった 以来、新橋駅前は宴が開かれる場所になった 1947年、狸小路という安価な飲み屋街ができて 虎ノ門や銀座のサラリーマンで賑わった (152) スポンサード リンク
日本で鉄道の女性専用車を初めて導入したのは明治45年 2017年4月3日 コメントを残す 鉄道各社で導入されている女性専用車 日本で最初に導入されたのは、明治45年 中央線の中野駅~昌平橋駅(現 御茶ノ水駅付近)間 時間は、午前8時30分前後と午後3時30分前後 東京で電車が走り始めた明治時代は、 女子の中等教育が普及し、女学生が増加 当時の女学生とは、現在でいう女子高校生 中央線沿線には、学習院女学部、 共立女子職業学校、東京女子高等師範学校などがあった 中央線を利用する女学生は、名門のお嬢様ばかり そんな女学生が決まった時間に多く集まる通学電車は、 花電車、あるいは美人電車と呼ばれ、 男子学生たちの狙いの的だった そこで学校側と鉄道が協力して女性専用車を導入 (202)
新幹線の青と白の配色は、煙草のハイライトのパッケージがきっかけ 2016年9月6日 コメントを残す 1964年(昭和39年)に開通した東海道新幹線 丸みを帯びた先頭形状、 青と白に塗り分けられた流線形の外観 そんな新幹線の青と白の配色は、 煙草のハイライトのパッケージがきっかけ 旧国鉄の内部資料:東海道新幹線電車技術発達史によると 1962年、国鉄や車両メーカーの担当者、外部の画家や グラフィックデザイナーらが参加した会合で、 たまたま机の上にあった煙草の ハイライトのパッケージがヒントになっている (638)
線路のカーブは、現場で曲げている 2016年8月28日 コメントを残す ●線路のカーブは、現場で曲げている 製鉄会社から鉄道会社の納品されるレールは、 基本的に真っすぐなモノだけ しかし線路の多くは、カーブしており そのままでは設置できない カーブごとにレールを造っていると コストが高くなり過ぎてしまう 鉄道会社では、設置現場で、 レールベンダーと呼ばれる機械でレールを曲げている テコの原理でレールに力を加える 最後は人の手によって設置される (218)